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2008年09月09日(火) 00時19分

パラリンピック 亡き母の励まし支えに 柔道・大我選手毎日新聞

 【北京・石丸整】北京パラリンピックは8日、柔道81キロ級の大我健侍選手(26)=石川県加賀市=が登場した。2回戦でキューバの選手に敗れた後、敗者復活戦で3位決定戦まで勝ち進んだが、メダルには届かなかった。「頑張れ」と励まし続けてくれた母澄子さんは、パラリンピック出場が決まった2日後に心不全で他界した。澄子さんにメダル獲得は報告できなかった。

 視力が徐々に弱まる網膜色素変性症で、生まれつき薄暗い場所では見えなかった。道場を開いていた小学4年の担任に勧められ柔道を始めた。普通高校に進学、石川県新人戦で3位に入った。

 卒業後、父の建築業を手伝ったが、病気が進行し昼間でもほとんど見えなくなり、04年に柔道部のある福井県立盲学校に入学。福岡市内のマッサージ店に勤務してからは、町道場に通った。06年にマレーシアで開かれたアジア大会で3位に入ったが、負けた悔しさが募り、柔道に専念しようと帯に「一意専心」と刺しゅうを入れた。

 北京には「絶対に勝たないかん」と乗り込んだ。5月20日に正式に代表入りが決定した2日後、澄子さんが心不全で亡くなったからだ。今春入院した時は、転んで胸の骨を折っただけと聞いていた。

 「ほぼ治ったと思っていたので、見舞いにも行かなかった」と悔やむ。生前、澄子さんは週に2〜3回、電話で励ましてくれた。「『練習頑張って』とか『体に気い付けて』とかばかり。声を覚えてるんです」。07年11月の全国大会で優勝し、パラリンピック出場が有力になった後は、会う度に「頑張れ」と発破を掛けてくれた。

 澄子さんが亡くなった後、福岡市から地元に戻りマッサージ師の仕事に就いた。3位決定戦は開始41秒でベネズエラの選手に一本負け。試合後、澄子さんへの言葉は「ありがとう。それだけです」と小さな声で話した。

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