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2008年09月08日(月) 16時55分

プロレスってヤラセだよね?ツカサネット新聞

興行開始前の会場に漂うあの独特の雰囲気。会場の中央に広がるセルリアンブルーのリングをスタンドから一望し、パンフレットに差し込まれた「本日のカード」に目を通す。それまでの数日間、心待ちにしていたそのメインイベントに想いを馳せると、あと数時間が待ち遠しく、やがて空想のゴングが脳裏で鳴り響く……。

私は新日本も全日本もゴールデンタイムに放送されていた頃を知るプロレスファンである。今でこそ会場に足を運ぶことも少なくなったが、深夜のプロレス放送は毎週必ずチェックしている。プロレスという優良コンテンツを使いこなせないテレビ局に対して一時は憤慨したが、過度に注目が集まり余計な雑音が湧いて出てくるより、このジャンルは深夜枠が丁度良いのかもしれない。

「プロレスってヤラセだよね?」

とある格闘技好きの知人からサラッと言われてしまった。プロレスファンなら誰しも「はぁ……」とため息を洩らすであろう愚問。そんな時私は「そうですね」と言うにとどめる。「子供の夢を壊すようなことを言うな」とまでは言わないが、「スポーツエンターテインメント」という言葉でお茶を濁すこともしばしば。

格闘技に興味の無い人ならいざ知らず、そもそも「ヤラセ」や「八百長」が示す勝敗だけを論い、プロレス全てを否定する人に、プロレスの醍醐味は伝わるだろうか?  私は難しいと考える。

総合格闘技ファンが求める「リアルファイト」と、プロレスファンの求める「アートファイト」。実はこれこそ絶対に対戦不可能な異種格闘技戦である。総格とプロレスを同じ土俵の上に乗せ、ヤオだガチだと議論を交わしても平行線を辿るのは目に見えている。しかし、もう10年以上前から、ネット上では進歩無くこういう不毛な議論が続いているように思える。

ネットではチャットならまだしも、掲示板にはタイムラグもある。人間の見えない一方的な主観に基づく結論の押し付けの前に、紳士的に“受ける”ことを前提に議論を交わそうとしても、自らの土俵から離れる気の無い相手とのディベートなど、揚げ足取りを相手にすることと同じでもはや疲れるだけである。

私はプロレスを観るのは好きだが、バカ正直で賢くないため、自分から進んでプロレスを仕掛けようとは思わない。それよりも、総合格闘技が好きな知人とならば、その話で盛り上がる方が健康的。知人からの「ヤラセ」質問を、屈強なレスラーのごとく正面から受けようとしないのはそういうことだ。

以前ネットのニュースサイトで、「プロレスファンの興味はやらせ云々ではなく、『猪木と馬場はどちらが強いのか』、『プロレスラーこそ格闘技の中で最強なのか』である」といった記事を読んだことがある。だが、私は猪木と馬場が現役だったとしても、彼らのシュートマッチなど望まない。ましてプロレス最強論など少しも興味が無い。

プロレスが最強だ、空手が最強だ、キックボクシングが最強だ、いやムエタイだ柔道だ……そんなことはどうでもいい。自分が好きになったその選手個人のバックボーン。闘う姿に心底魂を感じた者が、たまたまプロレスラーだった。あるいはキックボクサーだった。空手家だった。ただそれだけのことである。

とは言うものの、2000年の「PRIDE」に於いて、TKOとはいえ桜庭和志がホイス・グレイシーに勝った時は心底喜んだ。自分の中で“プロレスラー桜庭”という概念より、“日本人がグレイシーを倒した”という想いが強かったからこそである。だが、どうしてもそんな時、「やっぱりプロレスは最強」などと一部のファンが煽るから話がややこしくなる。プロレスは、プロレスなのに。

「プロレスなんて八百長」
「プロレスなんてやらせ」
「あんなものになぜ熱狂できるのかわからない」

とにかくプロレスにはこの手の話題が尽きない。しかし、プロレスの魅力や醍醐味は勝敗で片付けられるものではないのだ。

もしも、猪木と生前の馬場がシングルマッチで対戦していたら……。互いに魅せ場を披露しつつ、最後は両者リングアウトが関の山。とかく白黒つけたがる日本人にとって、後味の悪い欲求不満な試合結果だとしても、プロレスファンはそれをツマミに酒を呑むことができる。それがプロレスなのである。

プロレスとはある種の現実逃避。勝てない相手と知り、倒されても倒されても、それでもまた立ち向かう。ゆえに現実を直視する女性よりも、むしろ“男のロマン”と表現されてきたのかもしれない。

どんなに負け続けても、何時の日にか頂点に立てることを夢見て、練習を重ねリング上で体現する。それが人生ドラマだと言うならば、やらせな波乱万丈があってもいいだろう。男たち、女たちがそれまでの人生を懸け、身を削りあって闘う格闘芸術プロレス。それでいいじゃないか。

ヤオだ、ガチだ、と声を荒げなくていい。レスラーや関係者がわざわざ真実を口に出さなくて良い。ファンならば心にそっと仕舞っておけば良いではないか。

プロレスを楽しむためにはある種の忍耐力が必要である。“我慢が足りない”と言われる今のご時世には持って来いだ。

「プロレスはプロレス」

……それでいいじゃないか。


(記者:桶乃弥)

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