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2008年09月06日(土) 00時00分

<下>審理に国民の良識反映読売新聞

 ◆冤罪の防止、判決に厚み
裁判員裁判が開かれる鹿児島地裁206号法廷。裁判では、3人の裁判官(中央)の周りに、6人の裁判員が座ることになる(鹿児島地裁で)

 夕方、電車に乗っていた男(27)が、身重の妻(22)とともに男性(22)から殴るなどされ、男はナイフで男性を刺し殺した——。鹿児島地裁の模擬裁判で、裁判員として審理した架空の殺人事件の概要である。

 今回、時間的な制約から、法廷で裁判員が被告と対面することなく、評議に入った。最近、結婚したことも微妙に作用したのかもしれないが、正直に言えば、殺人を犯した被告に感情移入してしまった。検察側の求刑8年に対して、最終的な量刑の判断では、判例を踏まえ懲役5年を支持したが、この感情移入がまったく影響を及ぼさなかったとは言い難い。

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 この点について、鹿児島地検のある検察官は「被告と被害者の印象で判決が決まってしまう。積み上げた証拠を冷静に見てもらえないのでは」と指摘する。別の検察官は「人生を左右する判断の重さに耐えきれず、軽い量刑ばかりが増え、公平な裁判が出来なくなるかもしれない」とも懸念する。

 裁判員制度の導入を控え、各地の裁判所で模擬裁判が行われているが、事実、裁判員が被告に肩入れしたり、必要以上に憎しみを抱いたりするケースが、ほとんどの模擬裁判で見られると聞く。

 殺人事件で被害者の遺体の写真や、犯行の痕跡を残す凶器などを見せられた裁判員はどう反応するだろうか。日常生活ではまず見ることがない生々しい現場の写真や映像、証拠品を見て、検察側に傾く裁判員もいるかもしれない。

 一部の弁護士からは「国民への負担が大きいにもかかわらず、議論が尽くされていない」「裁判員を原則、辞退できないのは思想の自由を侵害している」との声が出ており、栃木、新潟県弁護士会は「時期尚早」などとして制度の延期を求める決議をしている。法のプロの中でも慎重論は根強い。

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 2003年の県議選を巡る買収無罪事件(志布志事件)で、元被告たちの弁護人を務めた野平康博弁護士(鹿児島市)は、有罪率99%以上とされる刑事裁判について一石を投じるきっかけになるのではないかと期待する。

 「現在の刑事裁判は『推定有罪』に基づいて判決が下されてしまっている。弁護士にも『刑事事件では何をやっても無駄』という意識が広がっていたが、裁判員が『推定無罪』の原則を法廷に持ち込んでくれれば、冤罪(えんざい)が大きく減るきっかけになるのではないか」と話す。

 また「従来の刑事裁判に限界を感じている」と打ち明けるのは、鹿児島地裁の刑事部長で、今回の模擬裁判で裁判長を務めた平島正道裁判官。

 実際の法廷は、公判にかかる時間短縮などのため、書類を交換する場面がほとんどだ。「国民に開かれた司法」と訴えつつも、市民が傍聴に来ても、何を審理しているのか分からない場面も多いだろう。

 「裁判官は公判後に書類を読み、事実上、法廷の外で判決を決めている。裁判員と意見を交換しながら審理を進め、法廷で判決を導く。そんな活気のある法廷にしたい」と語る。

 国民が裁判に参加することで、裁判が分かりやすくなるだけではなく、多様な国民の良識、常識が反映されることで判決に厚みがでることにも期待する。

 「これまで専門家が解決できない問題をクリアするため、国民の協力がどうしても必要」と訴える。

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 国民が重大な刑事事件に参加する裁判員制度は、不安と期待を抱えながら、来年5月にスタートする。裁判員になった国民の負担は少なくない。それでも、もう一度、参加してみたいと思う。事件の真相に迫る裁判員は、人の痛みを知り、人生の一部を背負い、悩みながら一つの判断を下す。人が生きるということを深く考える契機になるのではないかと思う。

(この連載は角亮太が担当しました)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/feature/kagoshima1220539955913_02/news/20080918-OYT8T00261.htm