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2008年09月05日(金) 12時00分

「男性の離婚遺伝子」は存在するかWIRED VISION

自分の夫は結婚に向いていないのでは? と悩んでいる女性にお伝えしよう。

そう感じる原因はご主人の遺伝子にある。

と言うか、最新のある遺伝子研究に関する報道を見たら、そう考えてしまう女性がいたとしてもおかしくない。この研究は、アルギニン・バソプレシン(AVP)という物質に関連する遺伝子の変異を調べたものだ。[スウェーデンのカロリンスカ研究所や米エール大などの研究チームによる研究。論文は米科学アカデミー紀要に掲載]

アルギニン・バソプレシンは、哺乳類の体内にあるホルモンの一種で、体の水分を維持するのに重要な役目を果たすとともに、草原に生息するハタネズミが一夫一婦制を保つかどうかを左右するものとして知られている。

[バソプレシンは抗利尿ホルモンだが、腎臓とは異なるタイプの受容体が脳にも分布しており、動物の行動に影響を与えることが、ラットなどを用いた実験で報告されている。

米国エモリー大学チームによる2001年の研究は、ハタネズミ類のなかで、一夫一婦の種とそうでない種を比較し、脳(辺縁系線状体の一部である腹側淡蒼球)におけるAVP受容体の多さが、一夫一婦志向およびオスの子育てと関係しているとした。この研究では、AVP受容体を操作して、一夫一婦志向でない種をその志向にさせたり、あるいは逆にすることが可能だったという]

今回の研究によると、スウェーデン人男性のうち、バソプレシン受容に影響する遺伝子の一部が変異を起こしている人は、変異のない人に比べて、結婚生活で問題を抱えている率が高く、そもそも結婚していない[同居はしている]ケースも多いという。

[調査対象は、女性との長期的関係が5年以上ある552人の男性と、その相手である女性。『Washington Post』紙の記事によると、この変異を持っている人(対立遺伝子のコピーが1つまたは2つある人)は全体の約4割。対立遺伝子のコピーが増えるに従って、関係上の問題が増えているという。たとえば、コピーを持たない人のうち深刻な関係上の問題を経験した人は15%だが、2つのコピーを持つ人は34%、など]

研究チームによると、この結果は、「ハタネズミの夫婦関係にはAVPが影響を及ぼしているが、同様の関連が人間にもある可能性がある」ことを示唆するものだという。

しかし同チームは、「その影響は比較的少なく……この多形[同じ生物種のうちに遺伝子型の異なる個体が存在すること]が、個人レベルにおいて夫婦関係を決定づける因子として作用するという意味にはつながらないことは明らかだ」と釘を刺してもいる。

にもかかわらず、ジャーナリストたちはこの「離婚遺伝子」に飛びついた。『Washington Post』紙は、「ある遺伝子変異を持っているかどうかで、その男性が結婚に向いているかどうかが決まる」と伝え、Reutersには「夫婦の危機? 原因は夫の遺伝子」という見出しがおどった。さらにフランスのAgence-France Press(AFP)は、「悲惨な結婚生活の原因は男性の遺伝子組成にあり」と言い切り、一方『New Scientist』誌は、「男性が結婚してよい夫になるかどうかが遺伝子を調べるだけでわかるとしたら?」と問いかけている。

だが、数あるマスコミの報道の中でも特に早とちり賞に値するのは、英国の『Daily Telegraph』紙だ。同紙は「離婚遺伝子」という言葉を作り出し、この研究によって「まだ想像の段階にすぎないが、科学者たちがいつの日かこの遺伝子に働きかけ、結婚生活の破綻を防止する薬を開発する可能性も浮上した」と報じた。

だが、これはまだ想像の段階にとどまっており、Telegraph紙の記事でも、実際にそんなことを口にしている人はいない。ゆえに、この記事の記者がこの一文を書かなくては、と考えた理由はどこにあるのかと首をかしげずにはいられない。

米国の非営利ラジオ局NPRの『All Things Considered』もまた、他のメディアと同様にこの「新しい言い訳」を伝えたが、その内容は適切にトーンダウンされていた。

NPRにコメントを求められた生命倫理学者のErik Parens氏は、「遺伝子の変異があっても、結婚生活に問題のない可能性もある」と述べ、その反対もあり得る、と言って番組を締めくくった。番組では同氏の発言を引用して、「人間関係というのはとても複雑なもので、1つの遺伝子がもたらす影響はごくわずかしかないだろう」と結論づけた。ちなみにParens氏は今回の研究には関与していない。

私は場をしらけさせているだけなのだろうか? そうかもしれない。しかし、各メディアの報道は、表面的に間違っているというだけでなく、判明した事実を根本的に誤解していると思う。

一般的に、遺伝子とある社会的性質との間には結び付きがあるが、本当に興味深いのは遺伝子ではない。今回の研究者たちも認めているように、本当に重要なのは、この遺伝子の影響を受ける神経ネットワークだ。確かに、「夫婦の不仲の原因が1つの遺伝子の欠陥にある」という説に比べれば面白味には欠けるが、これが正確な話なのだ。

ひとつの遺伝子だけに焦点を当てるのは少々馬鹿げている。この遺伝子AVPR1Aが、たくさんの行動に関係しているということから考えると、そのことはもっと明確になる。

たとえば、今回の研究報告に付けられた注意書きには小さい字で、以前の研究から、問題の遺伝子変異と自閉症に関連性がある、との仮説があることが書かれている。特定の遺伝子——あるいは特定の神経ネットワーク——を持つ男性は、二股をかけるジゴロになる場合もあるかもしれないが、人とのコミュニケーションや社会生活がうまくできないケースもあるということだ。

また、ブログ『Gene Expression』の記事がまとめてくれているのだが、これまでの研究によると、この遺伝子変異は、協力的行動のほか、記憶や食事、音楽的な記憶、創造的なダンスなどとも関係しているという。

[New Scientistの記事によると、問題の変異は、恐怖や快感、信頼や好き嫌いと関係するとされる(日本語版記事)脳の扁桃体の働きに影響する、という別の研究もある。また、今回の研究チームは今後、バソプレシンを鼻にスプレーすることで、嫉妬や利他主義に影響があるかという研究を計画しているという]

「adlee78」が投稿した、結婚式のダンス。

『ヒトにおける、バソプレシン受容体1a遺伝子(AVPR1A)の変異と男女のペア形成行動の関連性』(Genetic variation in the vasopressin receptor 1a gene (AVPR1A) associates with pair-bonding behavior in humans)[PNAS]

[この記事には、別の英文記事の内容も統合しています]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080905-00000005-wvn-sci