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2008年09月02日(火) 17時15分

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語 2. 価格破壊に挑んだ「東京インターネット」の発足J-CASTニュース

 日本の商用インターネットの本格的な普及は、1994年末に発足し1995年の4月からサービス提供を開始した東京インターネット(株)(以下Tnetと略称することがある)の存在抜きには語れないであろう。それまでは、日本の第1号ISPとして 1993年にサービス提供を始めていたインターネット・イニシアチブ(株)(以下、IIJと略称する)が事実上唯一のISPビジネスにおける事業体であった。

 一種の独占的な高価格料金がまかりとおり、これへの価格破壊線を仕掛けてインターネット接続の一般大衆市場を開拓したのがTnetであった。

 ここでIIJについて少々長くなるが以下に概説する。米国と同様に日本においても、インターネットは学術研究機関ないしは研究開発企業が個々のネットワーク(学内LAN、研究LAN、社内LAN)を自己の責任において相互接続(正確にはルーティングをふくむ IP相互接続)しあう中心のない自立分散系の寄り合い所帯として発展してきた。

 TCP/IPプロトコルの標準化、IPアドレスやドメイン名の管理、費用の工面は、Internet-Societyという世界的なボランティア組織が担っているという仕組みは今でも変わらない。

 日本ではJPNICがこれに当る。そして商用化とは一般企業ユーザーや一般個人ユーザーが上述の相互接続環境に参加することに他ならない。

 しかしこの融通無碍な相互接続とその運用には相当の専門知識と専門技術とが欠かせないから、ここに IP接続代行サービスの徹するISPという営利集団が誕生する必然があった。 IIJ発足時の主要メンバーは、この技量を主としてWIDEなどの学術系プロジェクトで培った希少価値の人材たちであった。

 IIJはたちまちに情報通信系の大企業や政府官公庁などの先進的顧客を獲得し、主としてNTT専用線を用いた定額制の常時接続サービスを展開し順調に業績を伸ばしていた。(他に、ATT JENSという外資系企業を顧客とするISPもほぼ同時に参入していた。)しかしここに至るまで、深瀬弘恭社長(当時)をはじめとするIIJ創業者たちは、無理解と無関心の最初の壁を乗り越えねばならなかった。

 その一つが、郵政省(現総務省、以下同様)による許認可の壁であった。当時、専用線を2000回線以上または海外専用線接続する通信事業者は届出だけですむ第二種通信事業者ではなく登録義務のある特別第二種通信事業者と電気通信事業法には規定があった。

 その登録認可において IIJは申請から認可まであれこれと不当な注文を付けられて、まるまる一年の真に貴重な時間を空費させられたのである。

 そこにあったのは郵政官僚のベンチャービジネスへの不信と敵意であった。すでに富士通や日電などの大手コンピュータベンダーは、NiftySreve、PC-VANなどのパソコン通信で全国展開していたから国内専用線条件は同じであったはずだが、財力や信用がない新参者はそれをもってインターネット商用化の推進者たるべき監督官庁から認可を頭から拒絶されたのである。話は前後するがTnetもやはり特別第二種と認定され、パートナーとなったセコム社の飯田会長(当時)が憮然としながら判を突いた念書の提出によってはじめて登録されるという屈辱を味合わされた。

 郵政省は黒船が見えていなかったとはこの事をいう。壁はもう一つあった。NTTがインターネットは自社専用線になじむデータ通信ではないともっともらしく言い出したのである。

 つまり、劣情をそそるという類のデータの中身に文句をつけたのである。この岡っ引き根性の思い上がりはさすがに引っ込めたようであるが、郵政省とてインターネット普及当初の数年間は、もっぱら猥褻・誹謗中傷の情報流通の巣として正義漢ぶった敵視をしていたことは知る人ぞ知る話である。

 しかしそれにしても、IIJが独行時につけたインターネット接続料金は馬鹿高かった。64kビット専用線で月50万円もした。1メガに至っては、数百万円である。こうした高額の費用負担に耐えられる特権企業のためのISPの振る舞いをしたのがIIJだったのである。

 これを暴利と憤慨して、あたかも消費者運動のように自分自身の利害問題としてずっと安い料金の新ISPの設立を目指して立ち上がったのがUNIXプロフェッショナルの中小ITベンチャー企業であった。

 その中心にいたのが、すでに UUCPというバッチ型インターネットを会員間サービスとして月数万円の負担で内部構築していたUNIX普及のための業界団体UBA(UnixBusinessAsociation,1991年発足)であった。

 アステック(現アールワークス)社長の木下仁氏起草した64K月額10万円という価格破壊趣意書のもとに馳せ参じた主要企業は、 JCC(石井社長)、DIT(下村社長)、ソフトウエアジャパン(昆野社長、当時)、セコム(鈴木優一氏、故人)、そして数理技研(東條社長、当時、つまり筆者はUBAの会長でもあった)の5社であり、括弧内の顔ぶれで取締役会を構成した。セコムは別格であった。技術担当責任者となる鈴木氏の友人かつ上司であったセコム取締役の田尾陽一氏が会長に就任し、株式の過半を持つ責任会社の地位を求めた。

 これは我々には計算外の吉報であった。他社は資金力のある顔ぶれではなかったのである。それでも大小取り混ぜ37社、うちUBA会員20社が出資に応じ、資本金の2.4億円が集まった。いかに末端からの期待が大きかったかが分ろう。

 社長は、日本インターネットのエバンジェリスト(伝導師)であり Internet-Societyの牽引者であった高橋徹氏に依頼し快諾を得た。AS(自立したインターネット接続単位)システムの構築はUBA会員企業のIP技術者で充当し、営業部長はセコムから凄腕の桐野敏博氏が出向して埋めた。

 顧問就任を依頼した日本のインターネットの顔である村井純慶応大学教授は、もろ手を上げ設立趣旨に賛同、全面支援を確約してくれた。

 1995年4月、かの郵政省認可も得て海外接続先も確保し、東京インターネット(株)が万全の体制で価格破壊戦に打ってでるのである。

 次節ではこのTnetが破竹の進撃をしつつも、ついにはPSI(米国で老舗の世界展開をしていた名門ISP)に身売りを余儀なくされる苦闘の原因を記す。その前に、TKIの提唱した価格破壊がいかなる程度のものであったか1996年4月に念願の64kで98,000円を発表したときの専用線常時接続のTnet料金表を抜粋して以下に示す。

社名 / 品目       64K         1M          3M
東京インターネット  98,000      780,000      1,880,000
IIJ           190,000     1,330,000         なし
Mesh          160,000      800,000         なし
メディアバンク    160,000      800,000         なし
Info Web        160,000      850,000         なし
So-net         123,000      1,000,000         なし
InfoSphere      123,000       800,000         なし
NTT専用線料金   53,000       286,000       532,000

 快適な常時接続の定額サービスを受けるためには相当の覚悟が要求された。

 IP接続料金と並んでNTT専用線料金も高額であった。後者は距離課金されるから、 ISPはユーザー負担が最低の 15kmか30km圏内で済むように、稠密にアクセスポイントを多数設けねばならなかった。

 アクセスポイントにトラフィック(通信量)を集約して、それを自社のNOC(NetworkOperationCenter:インターネット全体に繋げる)に集めるのだが、この中継線あるいは基幹バックボーンのコストは長距離を運ぶから凄まじい額となった。

 それにしても、アクセス手法にADSLが普及し光ファイバーもほぼ同額で並び、開放されたNTT余剰光ファイバー(ダークファイバー)も原価で中継線、基幹線として使える現在のブロードバンド時代に比較すれば、驚愕せざるをえない全くの別世界の話で、隔世の感がひとしおである。価格だけでも数10分の1に下落し、パーフォーマンスにいたっては数百倍まで向上していることがお分かりであろう。

 現在では当たり前の常時接続定額制のサービスは法人ユーザーを対象としたものであった。個人ユーザーはとても手が出せる代物ではなかった。個人ユーザーあるいは資力のない中小企業はもっぱらダイアルアップという電話回線(一般公衆回線)を使った低速インターネット接続(それでも20kビットは出た)に頼らざるを得なかった。

 これには様々な料金体系があったが、月額2,000円の基本料金に一分30円程度IP接続料金が相場であった。

 忘れてはならないのは、NTTに支払う電話料金は別ということである。ユーザーは従量制料金をISPにもNTTのも支払わねばならず、個人ユーザーは平均月15,000円を支出していたのである。

 ISP側も専用線の場合と同様に、距離課金の電話代を安くするために、アクセスポイント増設コストと中継線・バックボーン代金に泣かされるのであった。

 しかも従量制の性質が悪いのは、インターネット愛好者ほど費用が嵩むという点であり、月に10万円近い支払に泣くヘビーユーザーが続出していたのである。

 WWW(World wide Web)の普及でNetscapeなどのブラウザも登場し、インターネットのコンテンツ流通が始まり電子商取引が本格的してくると、ユーザーにとっても、ISPにとっても、この高コスト構造はもはや我慢のならないものとなっていた。ここに、Tnetが価格破壊の衆望をになって参入したわけである。

【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年〜2003年)
鷹野晃
写真家高橋?氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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