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2008年08月30日(土) 17時00分

あの胸あの脚あの笑顔“お宝”水着グラビア40年史夕刊フジ

 来年2月に創刊40年を迎える夕刊フジの紙面の中で、つねに読者の視線をくぎ付けにしてきたのが、アイドルの水着写真。今回の40周年記念ワイド面では、紙面を飾ったアイドルたちの“お宝”水着写真を大公開。同時に、グラビアアイドルの「作り手」「伝え手」とともに、その歴史を振り返る。

 「グラビア写真は当初、タレントや歌手、役者の顔を人に覚えてもらうための手段のひとつだった。(芸能活動の中では)大切なカテゴリーだが、グラビアだけのアイドルは長続きしないと言われた。芸能界のスタートラインに過ぎなかったんです」

 作り手の立場からこう話すのは、巨乳グラビアアイドルブームの“仕掛け人”、芸能プロダクション「サンズエンタテイメント」の野田義治社長(65)だ。野田氏は1985年、元祖巨乳タレントの故堀江しのぶを発掘し、それまでのグラビアアイドルの常識を一変させた。

【堀江しのぶが衝撃】

 「堀江は、それまで雑誌グラビアを飾った女性たちと違い、歌や演技は全然できなかった。けれど、胸も含めたすべてのプロポーションとおしゃべり、ルックスはすべて整った女の子だった。この子はグラビアの歴史を変える力があると直感した」

 堀江は85年8月31日発行の夕刊フジ「いんたびゅう」欄に登場し、「水着姿になるのって本当はイヤなんです。だってバストだけじゃなく全体に太っているでしょ。やっぱり恥ずかしいですよ」と胸の内を吐露していたが、彼女の“勇気”がアイドルグラビアの歴史に新たな1ページを刻んだことは間違いない。

 野田氏はその後も、かとうれいこや細川ふみえ、小池栄子ら、グラビア史に残る巨乳タレントを育て上げてきたが、彼女たちが最近のグラビアアイドルと決定的に異なるのは、そのハングリー精神だという。

 「彼女たちは巨乳に甘えることなく、水着のポーズひとつひとつに命がけだった。業界で生き残るために何が必要なのか、ルックスなのか、プロポーションなのか、頭の回転なのか…。必死に考え続けた思いが、被写体として輝くことにつながったのです」

【グラビアだけは不要】

 「顔立ちを別にすれば、東京の繁華街をいま歩いている女の子の8割ぐらいは、すぐにでもグラビアに出られるプロポーションです。そんな子たちが気軽に水着になっているような気がする。でも、(バスト)90だの100だのって、ドッジボールを2個くっ付けたような女の子ばっかりでもねえ(笑)」

 野田氏は今後、グラビアだけを志望する女の子は採用しないという。「もはや、グラビアだけで商売するつもりはありません。ただ、(デビューの手段として)全然胸のない子でもグラビアデビューはさせますよ。本気で芸能界を志望する女の子のハングリー精神は、いまも変わっていませんから」。

【アグネス・ラム革命】

 「伝える側」から見たグラビア史はどうか。元「週刊女性」記者で芸能評論家の肥留間正明氏は「グラビアの革命といえば、なんといっても70年代前半のアグネス・ラムの登場でしょう。それまでは、アイドル歌手が、芸能活動の一環として水着を披露していたが、アグネスはそれらを凌駕するほどズバ抜けてかわいく、スタイルが良く、胸が大きかった」と振り返る。

 肥留間氏によると、アグネス・ラムのグラビアデビューを機に、「セクシー系タレント」あるいは「薄着タレント」と呼ばれた女の子たちがグラビアに進出。男性読者にも歓迎されるようになったという。

 実際、夕刊フジの紙面も、アグネス・ラム登場以降、水着のアイドル写真が増えてくる。そんな時代の象徴ともいえるのが、カメラのCMでビキニに着替える姿を披露して大ブレークした宮崎美子だ。

 その後、80年代後半から90年代前半のバブル期には、普通の女の子たちがグループを組んでグラビア界を席巻するようになった。その走りがC・C・ガールズ。「グラビアアイドル」という言葉が確立したのもこのころだという。

 「芸能人と普通の女の子の境目がなくなったのがこのころ。普通にかわいい女の子の水着姿が氾濫し、露出も拡大したことから、男性にはうれしい世の中になったが、グラビアの価値は下がってしまった。もう、かわいい女の子の水着姿だけではグラビアは持たない。グラビアに対する価値観も考え直すべきときでしょう」

【山口百恵にはオーラ】

 肥留間氏が芸能生活でもっとも衝撃を受けたのは山口百恵のグラビアだという。太ももは太いし、お尻も大きくムッチムチで、いまのグラビアアイドルとは比べようもないスタイルだったが、圧倒的オーラに周囲が気押されたという。

 肥留間氏は「百恵に勝る女の子のグラビアはいまだに見たことがない」と断言する。

 「ビキニになっただけで大騒ぎになる女のコなんて、いまはほとんどいない。そのくらい百恵には価値があったし、撮影するカメラマンたちも“戦争”だった。今後、グラビアの歴史を変えられる子がいるとしたら、ほしのあきでしょう。期待しています」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000002-ykf-ent