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2008年08月28日(木) 11時37分

季節の移りを肌に感じて、私たちは歩くオーマイニュース

 私は7月中旬、「ロマネスクの旅」に没頭していましたが、その間にも季節はきちんと移り変わっていました。オリンピックなどで騒いでいる人間や世界とは関係なく、ここ数日、ほんの少し気温が下がったと思ったら、それはいつものように移り変わる自然の姿であった。

 毎朝、できるかぎり夫と2人ですぐそばの川の土手を散歩しているが、このところの変化にはすごいものがある。最初に変わったな、と感じたのは空の様子。真っ青な空に大きな塊で現れていた雲が、いつのまにか空全体に散らばり、その間から透けるように淡い空色の空が見えるようになっている。

 そのうち、太陽の昇り始める時間がどんどん遅くなり、今では朝の5時ではまだ薄暗いくらいだ。つい、この間まで同じ時間でもう真昼かと思うほどカンカン照りだったのに……。「秋の日の釣瓶(つるべ)落とし」は、はや8月から始まっているのか?

 数日前、天が裂けるかと思われるような稲光を何本も見て、これで夏も終わりかと思っていたがやはりそうであった。その後に降った洪水のような雨のおかげで、干からびそうになっていた土手の草が息を吹き返した。

 この植物の勢いの凄(すさ)まじさにはほんとうに驚かされる。到底ひとりでは立っていられないと思われるような細い茎の草が、雨のあと勢いを得て空に向かってすっくと立ち、早々と小さな若緑の芽をのぞかせて、もっと伸びるぞ、と声を上げているようだ。

 土手の小道でいつも踏まれている草でさえ、たちまち新しい葉を出して、私は死んではいません、と主張している。

 この時期、特に美しいのは、野生の朝顔の「乱舞」といってもいいほどの咲きっぷりだ。薄い青と薄いピンクが主流だが、おとといあたりから白いのも1、2輪、顔をのぞかせたと思ったら、今朝はもう白い朝顔も一面に咲いている。

 今朝はまた新しい朝顔を見つけた。色は薄青だが、まるで別種の朝顔のようにとても小さい。葉も小さく、くびれが大きく、なんとなくうらやましい気を起こさせる。この小型の朝顔もまた群れて咲いている。

 ほかにも私たちが2人で「おしろい花」と呼んでいる濃いピンクの小さい花もあちこちに群生しているのだが、今日はその白色版を見つけた。これこそ本物の「お白い花」ではないか、では赤いのは何だろう、と大笑いしたことであった。

 桃の木などに群れをなしてしがみついて、暑い盛りにジイジイと鳴いていた蝉(せみ)ももういなくなった。田んぼのあぜなどにへばりついていたジャンボタニシのあのいやらしいピンク色の卵はとっくになくなり、苗代を闊歩(かっぽ)? していたタニシももう見えなくなった。稲を食われまいとやっきになったお百姓さんに捕獲されてしまったのか?

 田植えの時には苗4、5本しかなかった1株の稲は、今ではその10倍、20倍もの太さになって、土にがっしりと根を下ろしている。若い稲のやさしい葉がすっくと伸びて田んぼ一面を覆って風に揺れているのは、まるで緑のふかふかのふとんのように見える。まだ穂は付いていないが、やがてしっかり実の入った黄金色の稲穂となることだろう。

 川を泳いでいた鴨(かも)たちもいつのまにかいなくなった。今、川にいるのはシラサギとアオサギ、それに年中いる鯉(こい)と亀、ときどき蛇も……。

 ときたまトンボが飛んでくるがまだ数は少ない。やがて彼らの天下となる秋ももう間近かであろう。そのころ私たちは、今日は寒いね、などと言いながら散歩するのであろう。

(記者:堀 素子)

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