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2008年08月26日(火) 13時04分

「死」ではなく「生」の証しを感じてオーマイニュース

 広島市現代美術館で開催されている石内都さんの「ひろしま Strings of Time」展を原爆が投下された8月6日に見てみたい。そのとき、自分が何を感じるのかを知りたい。それが、広島へ行く動機のひとつだった。

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 開放感のある広い展示室。白い壁に明るいライト。写真集「ひろしま」(集英社)から飛び出した写真は、大きなサイズとなって、美術館に展示されていた。展示室の空間も作品の一部として抱きかかえているようなインスタレーションのようにも感じた。なので、展覧会の元となった写真集「ひろしま」とは、まったく印象が違った。

 原爆の犠牲者が身に着けていた遺品を撮った写真群は、不思議なことに「生」のエネルギーで満ちていた。一方で、写真のサイズが大きくなった分、衣服のほころびや血液かもしれない染み、刻まれた繊維の痛々しさにも気づいた。アンビバレントな感情に戸惑いながらも、やはり「生」のエネルギーを強く感じた自分に、感情は傾いていった。

 写真を見ていると

 「あの瞬間まで私たちは生きていたんだよ」

という声が聞こえてくる。

 もしかしたら、あの瞬間まで、恋をしていたり、誰かとケンカをしていたり、頭にきていたり、笑っていたり、おなかをすかせていたりしていたのかもしれない。そんなささやかな生の営みが紛れもなくあの瞬間までは存在していたことを

 「忘れないでね」

と語りかけてくるようだった。

■アイコンとしての原爆ドーム

 原爆ドームを初めて見た印象は、思いのほか小さく、なんてきしゃなんだろう、ということだった。私の中での原爆ドームは、大きくて頑丈で、使命感を一身に受けた建物、神聖な世界遺産という感じだった。私のイメージしていた原爆ドームは、広島市現代美術館の「ドーム」展の言葉を借りれば、「原爆の惨禍を象徴するアイコン」として膨らんでいたようだ。

 残っている鉄骨のドーム部分がまるでいばらの冠のように見えて悲しい、とある人が言っていた。けれど、ベビーピンクの色合いのせいなのか、私にはいとしくも思えた。

 これは、ピースボランティアの方から話を聞いたことも大きいと思う。かつて物産陳列館と呼ばれていた原爆ドームは、市民から愛される場所であった。子どもたちは、学校から帰ると、まずここに来て遊んだのだという。当時としては珍しい回転扉をくるくる回って、螺旋(らせん)階段を一気に上り、手すりに体を滑らせながら降りるのを楽しんだ。大人は館のテラスに立ち、そこから海に浮かぶ島の景色を眺めたり、庭園でくつろいだりしていたそうだ。

 私は、原爆ドームの前に立ち、8月6日午前8時15分より以前へと時間をスライドさせて、在りし日の物産陳列館を想像してみた。物産陳列館は、日本で初めてバームクーヘンが製造・販売されたり、美術展が開催されたりと新しいものが生まれ出る場所でもあった。

 メメント・モリという言葉がある。「死を思って生を考えろ」というように私は解釈しているが「生を思って死を考えろ」ということも可能だと知る。

 「死」からだけでなく「生」からも戦争は語れる。過酷な戦時下の中、必死で生きた人たちの、日常の記憶や証しを思うことで、戦争の愚かさはより強調されるのではないだろうか。

 そして「生きにくい世の中」と「生きられない世の中」は、まったく次元が違うということを広島で、強く感じた。

(記者:柳川 加奈子)

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