記事登録
2008年08月25日(月) 12時33分

「泥メンコ」収集家に話を聞いた(1)オーマイニュース

 すこし前になるが、6月22日(日)から26日(木)にかけて、有楽町駅前の交通会館2階ギャラリーで、第8回旭硝子OB会展が開催されていた。

 隅の方、「その他部門」にあった「江戸時代のメンコ」が目に留まった。吉田瑜享(よしだ・ゆきょう)氏とある。

ほかの写真を見る

 創作かなと思って覗き込むと、「すべて私のコレクションです」とある。たいへん興味深かったので、後日私は吉田氏に取材することを思い立った。この「コレクション」にまつわる物語をぜひ知りたいと思ったからだ。

  ◇

 吉田瑜享氏の今回の出展は「小型の面型42個」と「大型のもの8個」とある。

 前者ははんにゃ、おかめ、えびす、大黒など。一方、後者は大型の面型や紋章などである。

 「泥めんこ(泥メンコ)」とも言われており、実は、この方が一般的な呼称のようである。これらをすべて、自分の手で拾得したというから、驚きである。さっそく吉田瑜享氏に取材を申し込んだところ、快諾が得られた。

 以下は吉田瑜享氏との、一問一答である。威厳に圧倒され、早々に泥めんこに対する理解を促されたと記しておこう。

───拾得した時期は昭和30年代(1955〜64年)とか。中学生時代ですか?

吉田瑜享氏: 主に高校・大学時代です。暇を見つけては探し回りました。雨上がりの後が比較的見つけやすかったように記憶しています。

───拾得した場所は、総武線のJR稲毛駅周辺(千葉県)とのこと。海側ですか、山側ですか。どんな範囲を駆けずり回られたのでしょうか。

 海側から山側まで両方を隈なく駆け回りました。北隣のJR新検見川駅や、南隣のJR西千葉駅周辺でも多数見付けました。もちろん海側でも山側でも見つけることができました。

 しかし、さらに北に行ったJR幕張(駅)やJR船橋(駅)、また反対に千葉駅から外房線で南に行ったJR八幡宿駅、それから総武線で成田へ向かって内陸に入ったJR四街道(駅)あたりのことは記憶が不鮮明で、拾得数もよく覚えていません。拾得数はあまり多くなかったような気がします。

 もっぱら丘の上にある麦畑や落花生畑で見つかりました。稲毛の丘の上には田んぼもありましたが、田んぼにはまずありません。

───当時の稲毛はどんな感じだったのでしょう。

 今の国道14号線の海側は、当時、潮干狩りができる遠浅の海でした。その遠浅の海は、北は新検見川、南は今の千葉港の方まで、左右にどこまでも続いていました。

(全3回、つづく)

(記者:雨宮 文治)

【関連記事】
雨宮 文治さんの他の記事を読む

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080825-00000004-omn-soci