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2008年08月21日(木) 16時22分

江戸時代・謎の絵師 東洲斎写楽ツカサネット新聞

東洲斎写楽は、諸説ウンヌンが実に多い江戸時代の絵師である。
諸説ウンヌンの中には、阿波の能役者・斉藤十郎兵衛の実在を裏付ける「過去帳」があることをご存知だろうか?

謎の絵師・写楽は寛政六年(一七九四)、役者絵でデビューしたが約十ヶ月の活動を経て、翌年には忽然と姿を消したのである。

その正体をめぐり、葛飾北斎やら歌川豊国とか、およそ三十もの諸説が取りざたされている。

阿波の能役者・斉藤十郎兵衛の実在を裏付ける「過去帳」には、文政三年(一八二〇)三月七日の一節にこうある。

「八丁堀地蔵橋 阿州殿御内 斉藤十良兵衛 行年五十八歳 千住にて火葬」とある。むろん、斉藤十良兵衛は斉藤十郎兵衛のことである。斉藤十郎兵衛は逆算していくと生年は、宝暦十一年(一七六一)となるはずだが…。

一八四四年に著した「増補・浮世絵類考」は、江戸時代の考証家・斉藤月岑(さいとうげっしん)が記述した。その一節に、驚くべきことが記されているのだ。

こうだ。

『写楽・天明寛政年中の人、俗称斉藤十郎兵衛、居八丁堀に住す。阿波の能役者也。号東洲斎』
このことは、判明していたのだがこれを裏付ける「過去帳」の存在であった。

二つを照らし合わせると、良く解る。

この「過去帳」と「増補・浮世絵類考」。
どうやら、諸説ウンヌンに終止符を打つような気がしているのだが、この「過去帳」は一六一七年江戸・浅草に建立した法光寺で見つけられたそうである。

だが、斉藤十郎兵衛は、いつ何の為に江戸に上ったのかは定かではなく、絵師と書かれていることはない。

ともあれ、ミステリアスな、東洲斎写楽である。

あれは、ひょっとして「素人描き」の絵なのでは…?と勝手に想像しているのだが、名も無き絵師が、草葉の陰で「オレが本当の写楽だ…」とあざ笑っているのかもしれない。



(記者:city7)

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写真撮影:city7記者

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