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2008年08月21日(木) 16時13分

言われるがままに従うことの怖さ〜アドルフ・アイヒマンと私達ツカサネット新聞

第2次大戦中、ヨーロッパでは600万人ものユダヤ人が捕虜収容所で虐殺された。その現場指揮をとった人物がナチスのゲシュタポにいたアドルフ・アイヒマンという人物だ。戦後、彼は方々を逃げ回り、1960年、イスラエルの秘密警察に亡命先で捕らえられた後、イスラエルで戦争中の残虐行為について裁判が行われる。その中でアイヒマンは繰り返し、この言葉を述べる。

「私はただ、上官の命令に従っただけだ」と。

実はアイヒマンはユダヤ人処刑の現場には一切立ち会っていない。一度、女性や子供までが銃殺されるシーンを見て逃げ出したくらいだ。実際の写真を見ても、気の弱そうな風貌だ。ただ命令書に事務的にサインを行い、その“処分作業”は、収容所にいる兵士や時には収容所内のユダヤ人に行わせることで罪の重さから逃れようとしたと言われている。

さて、この裁判の内容に、あるアメリカの心理学者が注目した。彼の名はスタンリー・ミルグラム。彼はアイヒマンの主張から「この虐殺に携わった人間は、単に上の指示に従っただけだったのかどうか」を実証する実験を行う。後に『アイヒマン実験』として、人間の悲しい性をえぐり出した有名な心理実験だ。

その実験内容はこうだ。まずアメリカの各地から20歳〜50歳までの様々な職業に従事する男性を被験者として集める。そして彼ら被験者を教師役と生徒役(実際は役者が生徒役を務めていて、被験者にそのことは知らされていない)に分けて、生徒役は手首に電気ショックを与える電極が取り付けられ、与えられた問題に答える。一方、教師役は別の部屋で生徒役が問題の解答を間違うたびに一段ずつ高い電気ショックを与えるように指示される。生徒役となった役者はその電気の強さに応じて苦しむ演技をし、300ボルトになると失神状態に至る演技をするように仕組まれている。

さて、その結果だが、被験者(つまり教師役)の過半数は、全員が失神する電圧まで送電を継続し、死に至る最大450ボルトの電圧を(拒否の意思を示しながらも)流し続けたという。この実験は世界各地で行われたが、民族や宗教、文化が違っても同じような結果に至ったという。そこで結論付けられたのは

「常識のある一般市民であっても、権威や権力のある人間が命令すれば、それが人道的に考えて不合理な命令であっても、誰でもアイヒマンのようになってしまう」という結果だった。

最近、年金の不正流用やごまかし、様々な食品の表示偽装の表面化、企業の非正規雇用社員への不当な待遇差別と、それをきっかけの一つとして起こる通り魔殺人など、様々な社会問題が連続して起こり、未だに解決の糸口はこんがらがったままだ。

そこには国内の景気低迷や産業構造の変化によってもたらされた雇用する側の“目に見えぬ権力”の拡大によって、本来、「その会社一番の権力者(=雇用者)の横暴とも思える行動にストップをかけられなくなった」、あるいは先ほどのアイヒマン実験のように「命令に盲従する判断しかできなくなった」我々一人ひとりがいる。

官僚の場合も同様で、“会社”が“組織”に変わったくらいのものだろう。私達は将軍様の国や中国のことを「独裁国家はこれだからダメだ」と揶揄するが、実は我々が属している企業や組織のいくつかが、その「ミニ将軍様の国状態」になってしまっていることに気づいていない。

いや気づいてはいても、見て見ぬふりでごまかそうとする。
そうやって、ごまかし続けていく先には何か希望が見えるのだろうか。正規雇用という地位を守るために、散々会社の権力を握る者のためにしっぽを振り続けていても、きっとその権力者はあなたがその人間の弱みを握っていない限り、いつかは捨てられるだろう(官僚はちと事情が違って、国民を裏切ってでも自分たちの組織を守ろうとするだろうが)。同じようなことは1930年代のソ連で『エジョフシチナ』というスターリンによる大粛清でも証明されている。

私達はアイヒマンのような人間になることやわが子がそんな子供になることを望んでいるのか、それがこの国や私達の人生のために本当にいいことなのか。その判断は私達一人ひとりの良識とこれからの行動に委ねられている。


(記者:ちょろず)

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