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2008年08月21日(木) 16時11分

医者は聖職なのか!?〜福島県立大野病院事件よりツカサネット新聞

福島県立大野病院での帝王切開後の妊婦死亡に対する判決が福島地裁で下された。

結果は無罪。
遺族側には不満の残る判決であり、今後控訴も考えられるが医療者側からすれば当然ともとれる判決がでた。双方の主張は真っ向から対決しており検察側は「癒着胎盤は予見できた。子宮摘出術に移行すべき」との見解であり、弁護側は「予見は困難であり、胎盤を摘出後止血するのが一般的」との見解である。

日本医学会や日本産科婦人科学会が抗議声明を出していることからも、医学的見地(常識?)からすれば弁護側の主張が正しいのであろう。少なくとも医者は万能の神ではないし、人は誰しも何らかが原因で死亡する。死亡したことに対して医学的見地から逸脱していなければ罪に問うのは難しいということだ。

ところで医者というのは実に変わった職業である。
未だに国内では「医者は高給取りであり、身分が高い」といった意識を持っている人も多い。確かに一部の医者はそうなのであろうが、現実はもっと厳しいし薄給で休みもなく働いている医者も多数いる。いわゆる勤務医と呼ばれる医者の大半はそうであろう。そして医者、医療機関が特殊なのは「応召義務」というものがあることだ。

医師法に規定されているもので「診療に従事する医師は、診察治療の要求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」というものだ。正当な事由には「お金がない」とか「ルールを守らない」といった類は含まれない。「来るもの拒めず」の状態なのだ。

飲食店で「お金がないが、腹が減ったので食わせろ」と言ったとしても、追い出されるか下手をすれば警察に突き出される。病院はそれができない。時間外でもお構いなし。それが病院だ。他の一般社会でこのようなところがあるだろうか? 警察・消防・自衛隊などを除けば皆無といってよい。

それだけ特殊な環境においておきながら、一方で法律は医者や医療機関に対して保護的なものがない。別に医療ミスを肯定しているわけではない。避けられるミスは糾弾されるべきであるし、なされなければいけない。ただ「おまえらは患者を全力をつくして診なければいけません。ただしミスった時は責任をしっかりとってね」と国が言っているようにしか思えない。

応召義務を課すのであれば、国も一定の保護をすべきであり、逆に患者の訴訟などに対して国が介入しないのであれば応召義務はなくすべきだ。



■参考
ある産婦人科医のひとりごと(ブログ)



(記者:ごぉるでん)

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