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2008年08月18日(月) 11時49分

映画『アクロス・ザ・ユニバース』が突きつける「時代性」オーマイニュース

 ミュージカル『ライオンキング』で、その天才を世界に知らしめたジュリー・テイモアがメガホンを取った『アクロス・ザ・ユニバース』は、重いメッセージを突きつけるミュージカル映画である。

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 タイトルからもわかる通り同作はビートルズの楽曲を巧みに組み合わせたミュージカルである。聴きなじんだ楽曲の数々が思いがけない編曲で使われ、久しぶりに出会った友人の変貌(へんぼう)にはっとさせられるような感覚が心地よく連続する。

 中でも「Let it be」がベトナムでの戦死を悼む鎮魂歌として流れる場面では、胸を締めつけられながら、そんな歌詞であったかと再確認させられつつ、あらためてビートルズの偉大さを思った。同時に、既存の楽曲に寄りかかりながら物語を織りなしていくのはミュージカルの一手法ではあるが、「原案」ともクレジットされる監督ジュリー・テイモアの構想力に驚愕(きょうがく)させられずにいられなかった。

 主役の「ジュード」(どこで、この曲が流れるのか、気になってずっと引っ張られてしまう)を演じるジム・スタージェスの声がいい。リバプールの海岸で真っすぐ観客に向かってつぶやくように「Girl」を歌う導入部は実に魅力的で、見る側は自然と物語に引き込まれる。見終わった後も、その歌声が耳から離れず、すぐに輸入盤でのみ販売されている2枚組サウンドトラックを購入した。

 ビートルズを象徴する標章の「Apple」が「Strawberry」になっていたり、解散直前の誰もが知っている屋上ライブが最終盤の重要な場面で模されていたり、楽曲以外にも感心させられるところ満載で、U2のBonoやジョー・コッカーなど有名どころの出演もうれしい。上映時間の131分はやや長過ぎる感が否めないが、その長尺はかえってさまざまなことを見ながら考えることのできるたるみにもなっている。

 物語は、60年代後半から70年代初頭のイギリス、アメリカが舞台。ベトナム戦争はもちろん『いちご白書』で有名な68年のコロンビア大学紛争など、時代を象徴する場面が次から次へと続き、今となっては懐かしいいわゆる「サイケ(デリック)」な映像も織り込まれる。ジュリー・テイモアは、日本で言えば「団塊世代」をすぐそばで見続けた年齢にあたる52年生まれ。同作によって、いささか古めかしくもなりつつあるメッセージを、ほこりをはたくようにして今あえて提示した監督としての姿勢に同世代として妙に共感してしまう。

 現代という時代は、あのころから、ずいぶんと遠くに来てしまった。同じ感想を、私は先に『時が滲む朝』のレビューで、作品への隔意感とは別に記したが、この映画でも同様の思いをもった。

 折しも開催されている北京五輪をテレビ観戦しながら、世界中の若い選手たちの進化。飛躍には、当然のことながら嘆息させられる。そうした状況は何もスポーツに限ってのことではない。社会や経済の様相を眺めても新たな世代の台頭ぶりには瞠目(どうもく)と評していいことが山ほどある。実際には会ったことはないのだが、ITの整備に伴って、かつては想像すらできなかったような、天文学的な数字の金額を動かし、手にしている若者が世界中に存在しているらしい。われわれがかつて経験した状況を現在時制で経験している者たちも世界を見渡せば存在しているだろう。

 昔がよかったなどと言うつもりは毛頭ないし、情緒的な世代論で大ざっぱにあれもこれもひとくくりにしようとは思わない。先進国と呼ばれる、一部の地域の時代だけを見ての感想でしかないことは十分承知している。しかし、あの10年間はある活力が確かに存在した時代だった、とやはり言っていいのではないだろうか。ジュリー・テイモアが『アクロス・ザ・ユニバース』によって突きつけているのは、そうした「時代性」である。そして、それを通して、今を担う、若い世代のエネルギーはどこに向けられているのかと真顔で問いかけているように思われる。

 青臭いと、片付けてしまうのは余りに安易だろう。ジュリー・テイモアという当節の天才が諸事了解した上で、なおそうしたメッセージを託す映画を監督として創りあげた理由。それを、ビートルズを触媒としながら深く考えないではいられない作品である。

(記者:石川 雅之)

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