記事登録
2008年08月13日(水) 13時31分

太平洋戦争 モンテンルパ元死刑囚の獄中日記見つかる毎日新聞

 太平洋戦争中にフィリピンに派遣され、戦犯として死刑判決を受けながら1953年に恩赦で帰国した元憲兵の日記類が見つかった。自身に対する戦犯裁判の詳細なメモや獄中での生活、日本で帰りを待ちわびる妻子への思いなどがしたためられている。

 見つかったのは06年6月に95歳で亡くなった埼玉県新座市の鳩貝吉昌さんの手帳とノート5冊。家族が遺品を整理中に発見した。

 鳩貝さんは41年から中国やフィリピンに赴任。終戦で捕虜となり、住民虐殺の罪に問われた。国会図書館に残る裁判記録によると、事件への関与を否定したが、48年12月に銃殺刑の判決を受けた。モンテンルパのニュービリビッド刑務所に収容されたが、恩赦により他の死刑囚らと共に53年7月に帰国した。

 記録されているのは、48年の裁判の詳細メモと51〜53年の獄中での生活。48年の3人処刑後、執行がなかったが、51年1月19〜20日に14人が処刑される。このころの日記には、毎晩身を清めて処刑に備える様子などがつづられている。

 また、1月24日には「戦争そのものが人道的には相反している」「孫子の代まで軍人にはしたくない。戦争はいやだ」と戦争への率直な思いを吐露。25日には「勝者が敗者を一方的に裁いた」と戦犯裁判を批判している。

 家族への思いが多くを占めるが、刑務所内での生活に併せ当時の周辺状況なども端々に読み取れる。51年ごろは訪問者が少なく、処刑も覚悟しなければならなかったが、53年ごろになると、日本とフィリピンの議員らの訪問を受けたり、所内で野球に興じたりしたことも記されていた。

 帰国できることを知った53年6月28日には「夢のようだ。待ちに待った内地送還(中略)家族もどんなに喜んでいるだろう」と興奮冷めやらない思いをつづった。

 フィリピンでの戦犯問題に詳しい広島市立大広島平和研究所の永井均講師は「死と向き合う苦悩や戦犯の服役状況が克明に記されている。フィリピン当局の日本人戦犯への慎重な処遇や、恩赦に至る獄中の雰囲気の変化なども分かる内容だ」と話している。【曽田拓】

【関連ニュース】
万灯流し:川面彩る千個の灯 原爆犠牲者の霊慰める 長崎
長崎原爆の日:宿命負い、ひたむきに…胎内被爆者の死
長崎原爆の日:平和公園で63回目の式典
長崎原爆の日:久間元防衛相が2年ぶりに参列
長崎原爆の日:式典前に被爆者60人が歌声披露

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080813-00000011-maip-soci