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2008年08月08日(金) 11時37分

偏った報道姿勢〜清原復帰についてツカサネット新聞

8月3日にオリックスバファローズの清原和博選手がなんと1年10ヶ月ぶりにプロ野球パ・リーグの公式戦の舞台に戻ってきた。復帰後初めての打席は三振に終わってしまったが、プロ野球の看板とも言える選手がグラウンドに戻ってきたことは喜ばしいことである。

言わずと知れた大打者である彼の輝かしい経歴について、もはや説明の必要は無い。もちろんメディアも彼のような功績を残した人物(あのキャラクターならではの話題性という理由もあるが)を放っておくはずがなく、7月末に「清原、オールスター後に一軍復帰へ」という情報が流れてからは、各局のスポーツ番組は毎日のように彼の復帰までの道のりを追ってきた。

「もう万全な状態には二度と戻らない膝の怪我を抱えながらも血のにじむような努力を続けてきた清原がとうとう一軍復帰を間近に控えた時、高校時代からの盟友で「KKコンビ」として一世を風靡した桑田真澄・元プロ野球投手の球を打つことで自信を取り戻し、来たる3日にいざ一軍のグラウンドへ!」うん、どのテレビ局でも同じようなストーリー仕立てで、何とも感動的なお話が出来あがっているじゃないか。

ところで、あれだけ強烈なキャラクターを持つ清原選手だからこそファンも多いがアンチも格段に多いはずである。なのに、なぜアンチ報道が一切なかったのだろうか?

先に一言申し上げておくが、私はアンチ清原どころか彼の復帰を心より願っていたファンである。しかし、ファンだからこそ彼の不遇の時期を見過ごすことは出来なかったのである。その、「不遇の時期」を簡単に説明すると、清原選手は2004年に不振のシーズンを送ったことから読売ジャイアンツから戦力外通告をされたが、チーム残留をフロント側に直訴して何とかもう1年チャンスを得た時に、「泥水をすする覚悟で…」という何とも悲壮な決意を示した表現が話題となった。

しかし、翌年の2005年も大した活躍は出来ずにジャイアンツから追い出されるような形で退団し、その後今は亡き仰木彬氏にオリックスに勧誘されたことから移籍した。オリックスで初年度となった2006年は、9回裏に3点ビハインドの場面で逆転サヨナラ満塁弾を放つなど、それなりに「オリックス・清原」を印象付けることはあったのだが、怪我に悩まされ十分な成績を残すことは出来ずに終わってしまった。そして、昨年は怪我の影響で1年間全くチームに貢献することは出来ずに、背水の陣で迎えた今年も8月まで二軍暮らしだったのである。

はっきり言って、ジャイアンツを去る直前の二年間とオリックスに移籍してからの二年半、計四年半もの間、筆者のようなファンが思い描く「球界の番長・清原」というイメージ通り豪快なバッティングを誇った全盛期の清原和博を見れていないのである。それにも関わらず、彼はこの間に十億円以上の給料を(年俸は推測報道を基にしているので正確ではないが、これに近い額であると思われる)球団から貰っていたのである。この上ない給料ドロボーではないか。

もしかすると、彼の人気に寄りつく大量のファンの存在やグッズの売れ行きなどの、彼をチームに保持することで得られる付加価値を考えると十億円以上の価値があるのかも知れないが、彼は現役のプロ野球選手という職業を続ける以上はグラウンドの中で成績を残すことが最大であり、最重要の仕事であるのだ。その仕事がここ数年は満足に出来ていないにも関わらず、テレビを主とした多くのメディアは彼が復帰するとなると、まるで英雄が帰ってきたかのような扱いをしているのだ。

清原和博は15歳の頃から日本の野球界の中心人物であった。PL学園の4番打者として甲子園で5万の観客を沸かせ、意中の球団に指名されなかった涙のドラフトがあり、西武ライオンズ入団後は不人気だったパ・リーグを盛り上げる一因となり、巨人移籍後は球団の大きさと比例して彼の存在も不動のスーパースターとなった。確かに多くの野球ファンの心を掴み続けてきた英雄“だった”のだが、もう彼は41歳で、今シーズン限りの引退も示唆している大ベテランだ。

実力も残念ながら年相応に衰えが激しく、あまり報道されていないが復帰直前までの二軍戦での打撃成績は2割を切っており、およそ50打席に立ったが約半分は三振を重ねているのだ。二軍戦で三振率が5割などはっきり言って論外の数字であり、清原選手で無ければ一軍昇格の話題なども出ない成績である。が、彼は一軍に昇格し、観客の大歓声を浴び、毎日のように全てのスポーツニュースのヘッドライン扱いだ。

どのメディアが現状では一軍レベルに程遠い清原選手と入れ替わりで二軍落ちした、牧田勝吾という名の選手の心情を追いかけただろう。牧田選手の無念は言葉に言い表せないが、大石監督も采配に悩まされているだろう。監督は試合の流れを見て、適材適所の選手をパズルのピースのように埋めていくことが「采配」と呼ばれるものであるが、大石監督は“オイシイ”場面で清原選手を出場させる「采配」をしなければならない。

チームの勝敗や順位よりも、彼が一打席立つことが話題になってしまうのだから、大石監督は彼が一軍に居座り続ける限り、勝負とビジネスというジレンマに挟まれ続けながら監督という激務をこなしていかなければならない。他にも彼が出場することで出番を失う選手、彼が一軍枠を一つ確保してしまったことで、結果を出しても一軍に上がるチャンスが狭まった二軍選手達も“被害”を受けている。ただ、メディアはこのようなことは一切知ろうともせず、清原復帰の感動ストーリーだけを作り上げている。

彼の存在が余りに大きすぎるため、他に与える影響も甚大すぎるのだ。しかし、メディアは「陽」の部分ばかりを報道して「陰」の部分は報じない。確かに無名の若手の活躍を扱うなら、清原和博というスーパースターの練習風景でも伝えた方が一般市民のニーズはあるのだろう。ただ、一社でいいから清原選手の陰に隠れてる人間や問題を取り上げてくれるメディアはいないのだろうか、と思う。陽があたるところには陰が出来る。しかし、陰があるからこそ、陽が目立つのだ。


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(記者:オプティミスト)

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