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2008年08月07日(木) 11時14分

赤塚作品に「ありがとう」と言いたいオーマイニュース

 『天才バカボン』、『おそ松くん』、『もーれつア太郎』など創りだしたギャグ漫画の大御所、赤塚不二夫さんが8月2日死去した。

 赤塚作品は、登場人物の心理描写が優れていた。赤塚漫画は、大人の本音と建前の使い分けの過程も、子供たちに向けて意外とリアルに教えていた。そして、赤塚漫画は、子供は天使にも悪魔にもなる事があるという、子供の本質もついていた気がするのだ。

 土管の中で寝る事が多い、チビ太の心の揺れの表現は絶妙だった。

  赤塚作品の特色の1つに、登場人物が一時は金に目がくらんで仲間を裏切るが、最後は金に目がくらんだ自分の愚かさを反省するパターンがある。

 たとえば、人間の言葉を話す奇妙な猫、『ニャロメ』が、ニャロメの仲間のベシ(カエル)を食べたいと言う奇妙な金持ちに遭遇し、札束を積まれて仲間を裏切る話があった。しかし、最後は考え直して猛省し、「やはり仲間を裏切る事は出来ない」と、ベシの救出に向かう過程などは、拝金主義の本質をつくような話でもあった。天才バカボンの話の中にも、時々、行き過ぎた拝金主義や学歴社会を皮肉った台詞があった。

 時代背景にまで言及するならば、昭和40年代ごろは、「漫画を読むと馬鹿になる」と口癖のように言う親御さんが一定数いた。今では考えられない話だ。

 今のように、作品を選んで評価と言うよりも、漫画というだけで切り捨てる人もいた。赤塚さんは、そう言う時代にも輝いていた。

 日本の国会で、赤塚漫画の登場人物「イヤミ」が、グロテスクだと話の引き合いに出されたことがある。1967年(昭和42年)7月18日の逓信委員会の発言を、国会会議録から引用する。放送番組向上委員会委員と総理府中央青少年問題審議会委員を兼務していた人の発言である。(以下、国会会議録から引用)

 「イヤミ」という歯が三本前へ出た、たいへんグロテスクな頭をした人がいるわけです。

 私の娘の子供に、あんな感じの悪いものは見ないでやめたらどうだと言いますと、いやわりあいおもしろいのだと言って喜んでそれを見ているわけなんです。

 あと2度ほどその後見ましたけれども、その「イヤミ」の変なグロテスクな顔が何ともなくなって、自分自身いやさが感じられなくなってくるわけです。

 それを思いますと、やはり子供の純真な、何でも白紙に赤インクをすっと吸い込むように受け入れるときにおいて、情操を高めるようなものに接していないと、美しいものが美しいとし、あるいは、よくないものがよくないものとされるような情操が養われないという、そういうふうな影響も考えられますので、そういう点、大いに私どもの向上委員会としては、放送局側へ警告しているわけでございます。

 (以上、引用)

 簡単に言えば、昭和40年代には、イヤミが教育面から、政府関係者に嫌われていた、ということなのだ。ところが今や逆ではないか。現在の2008年(平成20年)の日本国の借金は、イヤミが、『 シェーーー!!』と言いそうな、とんでもない数字である。

 赤塚漫画の登場人物は、日本人の優しさも、そして愚かな部分も両方表現していた。

 赤塚漫画には、話の終わりに、いくつかの一定の法則があった。欲に釣られての行動は、失敗すると言うものだ

 現在では、名古屋市が、バカボンのパパを、ゴミの分別の説明に使うなど、行政でも漫画の力を部分的に借りるようになってきた。

 今後も、赤塚漫画は多くの人にユーモアと笑いを与えてくれるだろう。そのギャグは、日本人の本質を的確に表現していた。

 赤塚先生、多くの素晴らしい作品を描いてくれてありがとうと言いたい。

(記者:谷口 滝也)

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