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2008年08月07日(木) 11時08分

私の見た原水爆禁止広島国際会議オーマイニュース

 1960年代のはじめは、原水爆禁止運動が左右両派に分かれ分裂が始まった時期だった。学生だったその時期、平和運動を巡って厚い論争が展開されていた。

 それから50年近い歳月がたった。

 今回原水爆禁止2008年世界大会国際会議に参加した。会議のしおりには、「世界と日本の反核平和運動、NGOの代表に、自治体・政府代表も加わって核兵器廃絶の道筋を討論する重要な会議です」、そして「海外代表とともに積極的に討論に加わり、今年の大会テーマである『核兵器のない平和で公正な世界を』への展望を開かれることを期待します」とある。

 8月2日よりその国際会議が始まりました。広島から歩いて平和記念公園へ、うだるような暑さの平和記念公園に着くと、元安橋から見た原爆ドームは昔のままだった。

 会場となったウェルシティ広島入り口には、国際会議の看板が大きく目に付く。続々と世界各国から参加者が会場にむかった。海外からは46各国団体と3国際会議・地域団体のNGO代表・個人84人、および7カ国政府・2国際機関代表10人の参加とのことだった。

 原水爆禁止運動が、これほどまで国際的に広がっていることに大きな驚きだった。発言の中で原水爆禁止日本協議会事務局長の高草木博さんは、2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けてのアピールの提起は、参加者に大きな感動を呼んだ。

 「21世紀のいまも、2万数千発の核兵器が世界の平和と安全を脅かしています。ヒロシマ・ナガサキの悲劇が示すように、核兵器の使用は一瞬にして無数の命を奪い、世代を超えて人々を苦しめ、文明を破壊します。(中略)2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて、核保有国には2000年5月の核兵器廃絶の約束を実行することが求められています。私たちは、核保有国をはじめすべての国の政府が核兵器全面禁止条約をむすび、すみやかに核兵器の廃絶するようによびかけます」

と訴えた。

 名古屋高裁判決の「自衛隊イラク派遣違憲判決」(08年5月2日)について、名古屋訴訟原告・池住義憲さんは、判決当日裁判所前で出した同じ垂れ幕を会場の参加者に見せ、国際的な核兵器廃絶の運動に大きな励みになったことを披露し会場の大きな拍手を受けた。

 エジプト代表、アラブ連盟、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、韓国、中国、フィリピンなど次々と発言、アフガニスタンからの発言も注目された。核兵器の平和で公正な世界という大きな目標の下に、運動のあり方はさまざま、意見も違っていても一堂に集まって論議することは、まさにこのヒロシマの国際会議が平和の発信となっている感を強く持った。会議は3日、4日と同じ会場で開催され、最終日の4日には宣言が採択された。

(記者:小林 弘史)

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