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2008年08月04日(月) 11時22分

8月6日「ひろしま」が遺したものオーマイニュース

 美しいは、悲しい。かわいいは、せつない。こんな「広島」の切り取り方もあったのかと、石内都さんの写真集「ひろしま」(集英社)を手にして思った。

 ギンガムチェックのワンピース、花柄のフレアースカート、水玉のブラウス。セーラーの制服に足袋、草履、眼鏡。ライトボックスのやわらかな光の中で透過され、または太陽の光に包まれて、ひとつずつ丁寧に撮られている。45点にもわたるこれらの写真は、広島平和記念資料館にある1万9000点の被爆死した人の遺品と、被爆した品物のほんの一部だ。石内さんの手により、肌身に直接触れたものを中心として撮影された。

 戦時中というと、「ぜいたくは敵だ」と言われた時代だったので、当時の若い女性はみな絣(かすり)のモンペ姿なのだと思い込んでいた。けれど、戦火の下にあってもつつましい喜びとして、装っていた少女はいたのだと写真集を通して知る。浴衣を仕立て直したハンドメイドの服、花柄や葡萄の蔓(つる)のテキスタイルデザインの洋服、真っ赤な胡桃ボタン、フリルに白い糸でステッチをした手袋、薔薇の模様のついた防空頭巾(ずきん)。持ち主の思いも感じられる。

 とてもおしゃれだ。もしも今の時代に売られていたら、私も身に着けてみたくなっただろう。でもよく見ると、布には引きちぎられた跡がある。原形をとどめない個所もある。遺骨は見つからなかったが、上着だけがボロボロになって橋に引っかかっていたという服の一部もある。黒い雨に染められた下着も放射線で黒い模様だけが焼け抜けているブラウスもある。

 だから…… 事実とは裏腹に写真は、あまりにもけなげで美しく、かわいいから、心の底からこんこんとせつなさがわく。8月6日午前8時15分。その瞬間に途絶えてしまったかもしれない、服の持ち主のことを思わずにはいられない。

 今までも、原爆をテーマとした写真を見たことはあった。ただ、ほとんどがモノクロ写真で、時には目を覆いたくなるような悲惨な写真が多かった。

 けれど、この「ひろしま」の写真は、かつて見た「広島」の写真とは違った。これほどまでに親近感を持ち、その反面、悲しみを募らせる写真はなかった。

 石内都さんの写真は、いつも「時間」が見える。ある時は何重にも塗り込められた建物のペンキのはがれや、人間の足裏の皮膚、体に残る傷跡など「時間」を感じさせる写真が多い。今回も、「原爆資料」となってしまったモノたちの失われた時間と、持ち主をなくし、本来の意味からそれて「資料」として存在し続けてきた時間までもが、映し出されているようだった。

■もうひとつの「ひろしま」

 写真集「ひろしま」を手にしたころ、私はシンガーソングライター沢知恵さんのアルバム「一期一会」(コスモスレコーズ)の中の「一本の鉛筆」という曲を聴いた。きれいな曲だな、となにげなく聴いていると、「戦争」「8月6日の朝」「命」という言葉が出てきた。歌詞にはほとんど説明的な文章は出てこない。けれど、断片的な言葉からこの曲は、広島の原爆投下から生き残った女性の思いだということが推測できた。

 どういういきさつのある曲なのか、興味を持って、調べていくと、「一本の鉛筆」(作詞松山善三 作曲佐藤勝)は、美空ひばりさんのオリジナル曲だったことが判明する。この「一本の鉛筆」は、1974年8月、広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭でうたうために作られた。1988年第15回の広島平和音楽祭でも美空ひばりさんは体調の悪さを押して出演し、「一本の鉛筆」をうたっている。美空ひばりさんの亡くなる10か月前の話だ。

 なにかしらの表現ツールがあれば、たとえ一本の鉛筆だとしても反戦へのメッセージは送れる。戦争をリアルタイムに知らなくても心にじんわりと響いてくる歌だ。美空ひばりさんも好きな持ち歌ベスト10に入れるほど思い入れのある曲だったらしい。偶然にも今年の8月6日の午後に、広島市の原爆ドームの平和記念公園内で「一本の鉛筆」をうたうコンサート(広島ホームテレビ主催)が開かれるそうだ。再び、この歌が広島から発信される。

 原爆が落とされた朝、たくさんの人の時間は奪われた。そして、残された人たちにとって新たな時間が始まった。その時間の層は、今を生きる私たちの時間へとつながっている。

 2008年8月6日、広島に原爆が落とされてから63回目の夏がくる。

(記者:柳川 加奈子)

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