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2008年08月03日(日) 08時01分

バカボン、天国へ…ギャグ漫画の神様・赤塚不二夫さん死去、72歳スポーツ報知

 「おそ松くん」「天才バカボン」などで知られる人気漫画家・赤塚不二夫(あかつか・ふじお=本名・藤雄)さんが2日午後4時55分、肺炎のため都内の病院で死去した。72歳だった。赤塚さんは98年、ウイスキーグラスを片手にがんを公表。破天荒な闘病生活が話題になった。02年に脳内出血で倒れてからは周囲への反応がほとんどない状態で、妻・真知子さんの介護で回復を見せたものの、06年には真知子さんがくも膜下出血のため急死した。葬儀・告別式の日取りなどは未定。喪主は長女りえ子さん。

 10年以上も闘病を続けた赤塚さんは2日昼過ぎ、容体が急変。病院から連絡を受け、長女のりえ子さん、赤塚さんの妹が駆け付けた。

 今年2月末から患った肺炎が悪化し、血圧が低下。緊迫した状況が続き、午後4時55分、肉親だけに囲まれ静かに息を引き取った。赤塚さんの事務所は「とても穏やかな表情でした」と話した。

 りえ子さんは赤塚さんの前妻の娘で、その前妻は先月30日に68歳で亡くなったばかりだった。りえ子さんは母親の葬儀をまだ行っておらず、この日も母親の実家から病院に急行。両親の相次ぐ死に、りえ子さんは憔悴(しょうすい)し切っている。

 容体急変の連絡を受け、漫画家仲間の藤子不二雄(A)さん(74)、北見けんいちさん(67)が病室に駆け付けたが、間に合わなかった。

 赤塚さんは02年4月、定期検査のための入院中に脳内出血を起こし、緊急手術を受けた。以降、周囲への反応がほとんどない状態だった。真知子さんの懸命な看病で、呼びかけると、顔を向けようとするまで回復した。しかし、真知子さんは06年7月にくも膜下出血のため、56歳で亡くなった。

 晩年は病気との闘いだったが、破天荒な治療を貫いた。97年12月に吐血して入院。検査の結果、食道に直径2センチのがんが発見されたが「手術すると仕事を休まなければいけなくなるので」と手術入院を拒否したこともあった。

 食道がんが見つかって以降も好きな酒を手放さなかった。がん闘病について取材が殺到すると、「うちはね、今ちょっとした『がん景気』なんだ」と周囲を笑わせた。

 アルコール依存症治療のため毎月のように入院し酒を抜く「ウオッシュアウト」を繰り返した。退院しては飲み、「ノーメル(飲める)賞だな」とギャグを飛ばした。

 02年の闘病に入る直前はほとんど食事を受け付けず、酒ばかりの生活。栄養失調気味で車いす生活を余儀なくされた。

 「人間、死ぬときは死ぬんだよ。それまでは一生懸命仕事をしようと思ってね」00年に「目の見えない人にも楽しむ権利がある」と、点字の漫画絵本「よーいどん!」を発表。第2弾の「ニャロメをさがせ!」も02年に発売した。弥次さん喜多さんがアイヌ民族を訪ねるという珍道中の構想も温めていた。

 ◆赤塚 不二夫(あかつか・ふじお)本名・赤塚藤雄。1935年9月14日、中国・熱河省(現河北省)承徳生まれ。終戦後、引き揚げ奈良、新潟で青春時代を送る。中学時代に手塚治虫さんの「ロスト・ワールド」に感動し、上京。豊島区のアパート「トキワ荘」で石ノ森章太郎さん、藤子不二雄(A)さんらと暮らし腕を磨いた。62年から「少年サンデー」に連載した「おそ松くん」が爆発的な人気を呼び、「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」などヒットを飛ばした。65年小学館漫画賞、72年文春漫画賞を受賞。98年に紫綬褒章を受章。2003年には東京・青梅市に「青梅赤塚不二夫会館」がオープンした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080803-00000051-sph-ent