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2008年08月03日(日) 01時23分

<赤塚不二夫さん死去>「昭和」またひとつ消えた毎日新聞

 長期入院先の都内の大学病院のICUで、バカボンの「パパ」が逝った。漫画家の赤塚不二夫先生。2日午後5時前、この夏、事務所が仲間たちにお中元で配った「うなぎ犬」のTシャツを着て。72歳の旅立ちだった。

 ごくごく身内と、亡き妻眞知子さんと愛猫の菊千代の写真が、病床の傍らで見送った。長女のりえ子さんの言葉に、目をはっきり開き、澄んだまなざしで応じ、最期は少し大きめに息を引き取った。

 知己を得たのは99年、私がサンデー毎日の編集者の時代だ。がんの告白の記者会見で、病いすらギャグにする姿にひかれ、家を訪ねて、「雑誌で弔問対談をやってください」と土下座した。「おもしろいこと言うね」。すぐに酒盛りが始まった。

 「とことんやろう」。白装束に三角金をつけて遺影を撮影、祭壇をこさえた。「香典お断り、ただし原稿料はなし」。野坂昭如、立川談志、所ジョージ、唐十郎、タモリ……。むちゃな注文に、キラ星の人々がしゃれに応じてくれた。ギャグやジョークがあふれていた。

 当時から酒で体はボロボロ。体調を崩した時は、入院先で対談を続けた。02年春、脳内出血を繰り返し、寝たきりになって言葉をなくした。病室で意識を失う直前まで、世話役のスタッフ女性の胸を触って、「おっぱいだあ、おっぱいだあ」とやって、主治医や看護師さんを笑わせた。

 06年、最愛の妻の眞知子さんが急逝。亡くなった瞬間、先生はカッと目を開き、目尻に涙を浮かべた、と後に聞いた。

 今春、先生は一度だけ、声を上げた。配転で担当になったリハビリの先生が、なんと! 漫画の「おそ松君」のチビ太にうり二つだった。驚いた目で「眞知子さ〜ん」。亡くなった妻の名を呼んだ。「チビ太がいるよ〜」。そう言いたかったに違いない。

 言葉を発したのはそれだけだったが、先生には確実に声が届いていた。鼻の下にお酒をつけると、目をパチクリして応えてくれた。若い看護師さんにはいつもご機嫌な面持ちで病室の空気をなごませてくれた。

 9月の73歳の誕生日には、個室の病室に戻り、仲間を呼んでお祝いする計画だった。

 日本が活気に満ちていた「昭和」が、またひとつ消えた。【萩尾信也】

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