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2008年08月02日(土) 22時10分

時代の寵児…晩年は闘病の日々 赤塚不二夫さん産経新聞

 「赤塚のナンセンス漫画の根底にはどこか哀愁があり、彼が目指していたチャプリンの世界と重なってしまう」。伝説の漫画アパート「トキワ荘」でともに暮らした友人、杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長はこう評する。

 赤塚さんがトキワ荘に入居した当初、少女漫画を描いていたがさっぱり売れなかった。ある日、雑誌の穴埋めとして描いたギャグ漫画「ナマちゃん」が人気に。その後も「おそ松くん」「天才バカボン」など、漫画史に残る作品を連発。一躍、時代の寵児(ちょうじ)となった。

 単行本は飛ぶように売れ、アニメ化される。貧乏だったトキワ荘時代の反動からか、にぎやかな生活を送るようになった。ショーやジャズ祭の演出、タレントのタモリの発掘…。活躍の場を広げ、キャラクター同様に自身も人気者となった。
 平成7年、還暦と漫画家生活40周年を迎えた。このころから病魔との戦いの連続となった。

 9年末に食道がんが判明し、12年には急性硬膜下血腫で開頭手術。それでも笑いへの情熱は失われなかった。同年に出版した視覚障害の子供たちのためのギャグ満載点字絵本「よーいどん!」が大ヒット。しかし、14年には、脳内出血で再び手術。16年からは意識不明の状態が続いていた。18年には闘病を支えた妻、眞知子さんが急逝した。

 10年にがんを公表した際、同じ食道がんを患った落語家、立川談志さんと“がん対談”を行った。もらった名は、立川不二身(ふじみ)。記者会見の席では、“シェー”のポーズとともに、得意のユーモアでがんをこう笑い飛ばした。

 「忙しすぎて、死んでいる暇なんかないのだ!」

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