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2008年07月29日(火) 18時51分

ザスパが草津に帰った日に思うオーマイニュース

 少々古い話になるが7月13日、群馬県草津の温泉街からやや離れた本白根第3グランドは年に1度の祭りのようなにぎわいを見せていた。

 Jサテライトリーグ草津対水戸の試合がこの日行われていた。2軍戦で、観客は数百人だが両チームサポが声を張り上げる北関東ダービーである。そこには、普段のザスパの試合を行う前橋市の正田醤油スタジアムにはない手づくり感があった。

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 スタンドは4段のみ、1000人も入れば満員だろう。選手たちは着替える場所もなく仮設されたベンチのテントで着替えをする。席のないゴール裏にはザスパマスコットの湯友くんがザスパサポの声に合わせ、動いて応援をしていた。

 試合後には山岳部特有の雷雨のため途中で中断をしたが、ふれあいサッカーと称してザスパの選手たちと走り回って楽しむ大人たちを含めた観客がいた。

 しかし、私は何かの違和感を、草津にバスで着いた時から感じていた。温泉街には『ザスパ草津発祥の地』というバナーがあり、ポスターも張られていた。試合前の選手紹介にもサテライトの試合にしか出られない選手に関してのみホテルなどの勤務地を紹介していた。

 しかし、すでにザスパは草津から離れてしまったのだ。サテライトを含めた草津での試合は今年もこの1試合しか開催されない。そんな1試合のために、試合前には草津町長のあいさつまで用意され、祭りを演出していた。この祭りの部分に違和感を抱いたのだろう。

 温泉街には普段と変わらないのか観光客があふれていた。しかし、その中にはザスパサポはもとより、水戸ホーリーホックのサポは皆無で、ザスパが立ち上がった当初うたわれていた

「温泉観光ついでにJリーグ」

と、いう夢はそこになかったのだ。

 ザスパが関東社会人リーグからJFLまで昇格して来たころ、ほかのJクラブサポたちは『ザスパが上がれば草津に行ける』などといい、ザスパのJ参入を歓迎していた。

 現実は、すべてのホームゲームを前橋で行い、いつしかクラブの練習場も前橋に移り、マスコミがもてはやした選手の温泉街勤務も今やUー23という、若手のサテライト専門の別チームに所属する選手のみになった。彼らU−23チームの選手たちは、トップ登録がされていないため、トップの試合には出場できない。

 いつまで、ザスパは草津を名乗り続けるだろうか。ある意味での草津町民、いやJリーグサポ全体への裏切りをいつまで続けるだろうか。

 トップはJ1昇格もまだ見える位置にいるザスパ草津。口の悪いほかのチームのサポは彼らをこう呼称する。

 ザスパ『前橋』

 果たして、この日の観客は草津が草津だと感じただろうか……。ザスパ草津「発祥」の地は、すでにザスパのホームから遠く離れてしまったようだった。

(記者:田中 澄愛)

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