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2008年07月25日(金) 11時57分

卵ゲップの洗礼、警察に連行された荒野の道──銀色の轍95オーマイニュース

<前回までのあらすじ>
 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。パキスタンに入国、イランから続く広大なバロチスタン砂漠だが、点在する茶屋や集落での補給を頼りに、快調に走る。

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 高原路。いよいよクエッタまであと1日の距離。しかし世の中それほど甘くはなかった。街道沿いのガソリンスタンドで泊めてもらった夜、僕は突然猛烈な倦怠(けんたい)感と睡魔に襲われた。スタンドの兄ちゃんが夕食に誘ってくれたが、僕は断って早寝した。まったく食欲もなかったのだ。

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 バム以来、ザヘダンでの2泊を除いて、炎天下の砂漠をひたすら連日走り通しであった。その疲労が下地にあったのだろう。しかし直接の原因はおそらく、水だ。その夜僕はおよそ2時間ごとに目覚め、酷(ひど)い下痢を催した。日本でいうところの軟便とは格の違う、100%液体化した極悪な水下痢だった。

 さらに卵が腐ったような臭(にお)いのゲップがした。強い胸焼けがしてお腹(なか)がぐるぐると収縮した。全身が気怠(けだる)く、頭は鈍く重たかった。それはバックパッカーの間で広く知られた「卵ゲップ」の症状だった。体内に取り込まれた細菌が腸内で活発に活動し、ガスを発生させているのだ。ゲップ、おなら、下痢、そして嘔吐(おうと)。

 翌日、タンザニアでそうとは知らずにA型肝炎にかかったとき以来の、悪体調での走行となった(関連記事はこちら)。

(とにかくクエッタまで行こう。そこで休もう)

 気力でペダルをこぎ進めた僕だったが、途中の集落で動けなくなった。足に力が入らないどころか、起き上がっているだけでつらかった。

 茶店のござの上でぶっ倒れていると、男たちが集まってきた。「ドクター」と言っている声が聞きとれたが、大丈夫だからと、とにかく手を振って断った。本当に大丈夫なのかどうか自分でも分からなかったが、とりあえず寝転んでいると楽だった。

 しばらく休息し、再び走る。しかし下痢は容赦なく襲ってくる。道端に都合よくトイレなどない。岩陰や草陰で脂汗を流しながらしゃがんでいる僕を、地元の少年たちが遠巻きに眺めて笑っていた。しかしそんなことを恥じらっている余裕すらなかった。

 結局、その日僕はクエッタにたどり着くことはできなかった。残り30km、カラチ方面と分岐の交差点、目前に峠が出現したところで、夜を迎えた。吐き気は収まっていたが下痢は止まらなかった。露店で売っていたスイカを夕食にした。

 9月22日午前10時、僕はやっとの思いでクエッタに着いた。クエッタはパキスタン西部の中心都市で人口およそ60万。銀行がありインターネットカフェがありホテルがあった。市内の交通量は多くビルが立ち並び、店によっては冷房が効いていた。

 クエッタに滞在中、両替とメールの確認と食事に出掛けたことを除いて、僕はほとんどの時間を宿の部屋で寝て過ごした。ここから北へ向かえばアフガニスタン南部のカンダハル。アフガン色が濃いといわれるバザールを見たかったが、出掛ける気力はなかった。薬屋で下痢の症状を説明し、10ルピー(約 21円)の薬を買った。飲むと多少効いたのか、どうしようもない疲労感と倦怠感がひとまず薄れてくれた。

 2 日後の朝、もう1泊すべきかどうか迷いつつ、僕はクエッタを発(た)つことにした。標高1700mの高原都市からインダス流域を目指しての長い下り坂。涸(か)れ川と鉄道の線路と何度も交差しながら、山あいの道を下っていく。下りっぱなしのこの日は、110kmの距離を走って順調だった。

 しかし、判断の過ちに気づいたのは翌日だった。低地に来ても、しばらくは褐色の荒野が続く。高度が下がった分、むしろ空気は鈍く、熱く、向かい風がきつい。砂漠はまだ終わりではなかったのだ。そして体調も再び悪化した。

 シービーという町での休憩で、どうにも身体が重く、水分を欲した僕は、炭酸飲料のペットボトルをがぶ飲みした。夥(おびただ)しい量の汗が噴出した。それからわずか 3km走ったところで、ひどく気分が悪くなり、動けなくなった。おじさんが紙パックのジュースをくれたが、それを飲んで、また吐いた。

 夕方やっと動けるようになった僕は、少しでも距離を取り戻そうと走った。しかし次の集落は現れず、僕はあきらめて水無川の橋の下で野宿をすることにした。

 ところが誰かがその様子を眺めていて通報したのだろう。テントに入って寝かけていた僕のところに警察がやって来た。ウルドゥ語なのかパシュトゥン語なのか分からなかったが、「ここで野宿してはいけない」と言っているのだとは分かった。車に乗せられ、連行された。

 黄昏(たそがれ)時の1時間懸命に走った10kmを、自転車ごと差し戻される。小さなモスクに併設された、そこは警察の詰め所だった。悪態をつきまくっていた僕に、警官たちはチャイを振る舞い、ござを敷き、ここで寝ろと言った。

【2002年9月25日
 出発から23866キロ(40000キロまで、あと16144キロ)】

<次回予告>
 インダス文明の大遺跡モエンジョダロ。僕に緑の大地の始まりを告げた。(8月1日ごろ掲載予定)

(記者:木舟 周作)

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