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2008年07月24日(木) 11時47分

映画『明日への遺言』から見えてくるものオーマイニュース

 映画『明日への遺言』が、わが町の市民ホールで上映されることになった。気に留(と)めていた映画でもあり、観に行くことにした。

 戦争は悲惨であり、残酷である。しかし、人類の歴史はその戦争の歴史でもある。

 非戦闘員を殺してはいけない。戦意を失って投降した者を殺してはならず、捕虜として相応の扱いをしなければならない。これらは、人類の永い戦争の歴史から得た、最低限の人間性を失わないための、ある意味知恵でもある。

 日露戦争が、戦争法規を忠実(ちゅうじつ)に守った戦争の頂点とすれば、その対極にあるのが第二次世界大戦だ。

 第二次大戦末期、米極東空軍司令官にカーチス・ルメイ少将が着任し、前任者による軍事施設を狙った精密爆撃を否定、都市への無差別爆撃という、明らかに国際法に反する非道な戦法に転換した。

 東京大空襲はじめ、日本中の都市は焼き尽くされ、多くの非戦闘員が殺された。その行き着く先が、広島・長崎への原爆投下である。

 名古屋地区を爆撃したB29が撃墜され、27人の搭乗員がパラシュートで脱出した。東海軍司令官・岡田資(たすく)中将は、この搭乗員を軍律会議にかけず、略式手続きで処刑を命じた。戦後、岡田中将はB級戦犯として、横浜法廷で裁かれることになる。

 映画の冒頭では、ピカソの「ゲルニカ」の絵を取り上げ、ゲルニカ、重慶、ロンドン、ドレスデン、と次第にエスカレートして行く、無差別爆撃の歴史を配する。このあたり、必ずしも、米軍告発一辺倒の映画でないことを示唆する。

 岡田中将、ラップ裁判委員長、バーネット主任検察官、フェザーストン主任弁護人、この4者による横浜法廷でのやり取りを中心に映画は進行する。岡田はこの裁判を法による戦い、「法戦」と名付けて、敢然と戦勝国に立ち向かう。

 特筆すべきは、主任弁護人の働きだ。アメリカ人ではあるが、全力で被告人側に立ち、無差別爆撃の不当性を立証しようとする。搭乗員たちは、非戦闘員の殺害という明らかな戦争犯罪を犯したのだから、「捕虜」として扱うことはできない、処罰されるのは当然である、と。検察官をして、「あなたは合衆国の軍全体を裁くつもりか」と言わしめる。

 米軍機が、走行する「客車」を狙い撃ちして機銃掃射を浴びせ、多くの乗客を殺害したとか、周りに軍事施設も軍需工場も何もない児童養護施設に焼夷(しょうい)弾を落として、罪のない子供を焼き殺したとか、弁護側は次々と証人を立てて、米軍の非道さを訴えていく。

 岡田の「法戦」は、徐々に勝利への道を歩んで行く。彼は、もとより自らの命は投げる覚悟である。ただ命を投げるのではなく、責任の一切を自らが負い、部下にそれがおよばぬことを願い、同時に戦勝国の非道さをこの裁判の場でただす。

 ついに裁判委員長は、合衆国の軍法では、敵が不法なことをした場合は報復してもよい、とした。その上で、岡田に「これは処罰なのか、報復」なのか、と救いの手まで差し伸べる。が、岡田は毅然(きぜん)と「処罰であります」と言い放つ。

 裁判は結局、岡田1人が絞首刑を言い渡される。判決後、多くの助命嘆願が出され、その中にはバーネット検事の名もあったという。助命嘆願はマッカーサーによって却下され、岡田は絞首台に立つ。死刑にはなったが、岡田の言う「法戦」には勝利した。

 A級戦犯を裁いた東京裁判はじめ、国内外で行われたBC級戦犯の裁判では、戦勝国側の非を問うことがほとんど許されず、またえん罪者も多数出たと言われる。その意味で、横浜法廷での裁判は特異なケースだとも言える。

 映画を観終わって、あらためて思うのは、戦争の最中は、冷静に物を見て考えることができないが、戦いが終わり、互いが冷静になったとき、多くのことが見えてくるということだ。

 この裁判の例で言うなら、岡田の指摘により、無差別爆撃がいかに非道であったかを米側も悟ったであろう。また、岡田(日本)の側も、相手がいかに非道なことをしたとしても、また戦時の逼迫(ひっぱく)した状態であったとしても、やはり裁判(軍律会議)にもかけず処刑した行為は決して誇るべきことではなかったろうと悟っただろう。

 最後に、岡田資を演じた藤田まこと氏の迫真の演技に称賛を送りたい。氏は今、病を相手に戦っているが、必ずや勝利して戻ってくることを信じている。

(記者:斉喜 広一)

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