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2008年07月22日(火) 13時45分

原油高、瀬戸をつなぐ渡船にも波及オーマイニュース

 音戸の瀬戸(おんどのせと)は、広島県の呉市(本州側)と対岸の音戸町(倉橋島)の間にあるその幅わずか90mしかない狭い瀬戸である。狭い瀬戸だけに潮の流れが速く、行き交う船も多く海上交通の難所としてもよく知られている。

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 1961年12月、この瀬戸に170mの橋梁(きょうりょう)ができたので千トン級の船舶が航行可能となった。呉側からループ式の取り付け道路を通り、深紅のアーチ橋を渡り螺旋(らせん)式高架道路を抜けると音戸側に入る。

 それまでは倉橋島から本土側への移動手段は、瀬戸をつなぐ“渡船”であったが、この橋ができたことによりバスやマイカーに変わってしまった。

 この橋が完成してから既に40年以上経過するが、音戸の渡船は地元民(主に高校生だが)にとって今でも欠かせない“足”なのである。

 かなり昔は、船頭さんが“櫓”(ろ)をこいでいたというが、当然今は機船である。その当時を歌った“音戸の舟歌”は、日本三大舟歌にも数えられている。

 この瀬戸は、1167年・平安時代に日宋貿易(厳島神社参詣のためという説もある)のために、平清盛公が開削したという伝説がある。それによれば、この瀬戸を掘削するために1日で工事を完成させなければならず、平清盛公は沈みかけていく夕日を招き返したという伝説がある。

 権勢をほしいままにして、“平家にあらざる者は人にあらず”とまで豪語した時の権力者は夕日でさえ招き返すことができるという傲慢(ごうまん)さを象徴している。

 原油高のおり、音戸の渡船を訪れてみた。下校時のため客は高校生が多い。小さな渡船は瀬戸を抜ける船の引き波にあおられて木の葉のように揺れる。ベテランの船頭さんは巧みに舵輪(だりん)を操り船を桟橋に着けて客を降ろし、次の客を乗せて対岸を目指す。

 運航時間は朝5時から夜9時まで、料金は片道大人70円(盆期間は80円)、船はお客次第で動く。

 「原油高で大変でしょうネ」と、人の良さそうな船頭さんに声をかける、「もてんですわ!」(もうやれませんということ)の短い言葉にすべてが凝縮されている。

 対岸に目をやると、緑の小高い丘の中ほどに造成中の地盤とコンクリートの橋脚が見える。通勤渋滞解消策としての第二音戸大橋(仮称)の取り付け道路が着々と造られているところである。

 再び問いたいものである。

 「君よ、今昔感 如何」と。

(記者:松原 ただし)

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