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2008年07月22日(火) 13時29分

ついに出てきた「金平日」の名オーマイニュース

 正直言ってここ1、2年、北朝鮮にまつわる記事については、新味のものが少なく、少々食傷気味であった。

 が、『週刊ポスト』(8月1 日号)の新聞広告には、目を引かれた。そのタイトル「北朝鮮軍部暴走! 『金正日がチャウシェスクになる日』」もインパクトがあるが、それよりサブタイトルの「異母弟・金平日を後継者に推す勢力が『王朝打倒』」へと動き出した」の方により食指が動いた。これは買ってでも読むべしである、と。

  ◇

 1994年、カーター元大統領が訪朝して、金日成主席(当時)と核問題で会談した。そのとき、ファーストレディーとして、金日成のかたわらにあり、カーター夫妻を接待していたのが、金聖愛夫人である。彼女は金日成の後妻。その子が金平日である。一方、金正日は先妻である金正淑の子。金正日から見れば、金聖愛は継母にあたる。

 この会談当時、金日成・金正日の父子関係はうまくいっていなかったようで、カーター側から、金正日との会談、もしくは同席を要請したようであるが、結局出てこなかった。父が遠ざけたのか、本人がそうした席に出るのをいやがったのか、定かではないが、とにかく1度も表に出てこなかった。

 周知のように、このカーター・金日成会談の20日後、金日成主席は心臓発作により急死している。

 これ以後、金正日は、後継者として力をつけていき、逆にファーストレディーだった後妻、金聖愛は、労働党の序列の枠外に追いやられた。

 カーター・金日成会談のときの一連の行事で、傍らに写っていた金聖愛の写真・映像は世界中に配信されたが、今北朝鮮では、金聖愛が写ってる部分は全てカットされてしまってる。

 そして金正日の異母弟であり、一時は後継者として噂にも立った、金平日は東欧の大使として、国外に遠ざけられた。

問題の記事(撮影:斉喜広一)
 ポストの記事によれば、RENK(救え! 北朝鮮の民衆/ 緊急行動ネットワーク)代表で、関西大学教授の李英和氏の言葉として

 「今年に入って、複数の情報源から、『駐ポーランド大使の金平日が帰国する予定だ』と聞いています」

という話を紹介している。

 そしてまた、ジャーナリストの山村明義氏はポストに対し、

 「自ら“将軍”を名乗りながらも軍経験のない金正日に対し、金平日は軍アカデミーを卒業し、人民軍保衛局に入隊して、軍秘密警察や軍事大学などに勢力を広げていた。そうした経験から、いまだに軍の一部から支持されているといわれる。金正日と距離を置きつつある軍部が彼の“身の安全”を保証したのでしょう」

と解説している。

 その上でポストの筋立てによれば、次のようになる。

 軍部は6カ国協議で、ほんとに核を放棄して丸裸になってしまうことを警戒している。そこで、金剛山の観光客射殺という事件を惹き起こした。「金正日の方針に“意図的に逆らった”」(山村氏)ことを見せつけるためである。つまり、金正日と軍部の間には、きしみが生じている、と。

 将来仮に、軍部によって金正日を排除するにしても、その代わりを立てなければならない。それは、「金正日の息子である金正男、正哲ら」の直系世襲であっては意味がない。傍系である異母弟・金平日を担ぎ出す意図が、そこにあるというわけだ。

 さて、記事全体にどの程度の信憑性、妥当性があるのか、何とも言えない。ただ、ここで1度消えたはずの、「金平日」の名が挙がってきたということには、注目しておきたい。なぜなら、拉致問題の全面解決は、拉致に手を汚していない者によってしか、成しえないからである。

(記者:斉喜 広一)

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