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2008年07月22日(火) 13時01分

「初めて」が治した身内のうつオーマイニュース

 「初めて」には人を変える力がある。

 常々思っていることだが、人は、今置かれている状況から一歩違う世界に踏み出した時、それまで全く感じたことのない衝動にかられることがある。

 五感で感じる全てのことが「初めて」であり、全てが初めての体感・体験となる。

 「初めて」には、人をワクワクさせてくれる働きがあり、その領域には、今までの自分の経験とは全く違う結果が待っていたりすることが多い。

 「何が起こるのだろうか?」
 「何を体験出来るのだろうか?」

 時に不安な気持ちも交錯する。けれども「初めて」という全く未知の世界に心躍ることは深層心理に隠れていることでもある。

 子供だろうと大人だろうと、この気持ちだけは永遠に変わらないものだろう。

 自分がどうしていいか分からない時、酷く悶々とする気分が続く時、私はこの「初めて」の気持ちをいつも体験することを心がけている。

 日本を離れて他国に行くもいい。国内をドライブするのもいい。自転車で通ったことのない道を通ったりするのもいい。また、散歩のコースを全く知らない所に行ってもいい。
 身近な「初めて」から、遠くに身を置く「初めて」など、その手法や方法は様々であって断然構わない。探せばきりがないほど、私達は「初めて」という世界を存分に体験できる。

 この「初めて」という行動は、人に「何か」を与える大きなきっかけになる。「初めて」の世界や領域によって、それまで全く知らなかった自分の感情や情緒の存在に気づくからである。

 「自分ってこんな風に笑えるんだ!」
 「自分ってこんな風に話せるんだ!」
 「自分ってこんな風に楽しめるんだ!」

 今までとは全く違った自分自身を味わうことが出来る。

 そして、その時に、自分自身に対してヒントを与え、解決のきっかけをもたらす。それらは多分に、もともと自分自身のなかに眠っていたことである。

 「これはこうしてみるのもいいな」
 「これはそんなに重要じゃないな」
 「これは簡単なことだな」

 感情は何だっていい。何かを感じることがあれば、それが、その人に与える次のステップの始まりでもある。

 「初めて」ということに何かが芽生えた瞬間、人は、ひとつの殻を脱却し、花が咲くためにいろいろなことが出来る器へと変わっていくと思っている。

  ◇

 鬱(うつ)病だった私の身内が、先日、こんなことを発した。以下は、彼の言葉そのままである。

 「アフリカ行きに誘ってくれなかったら今の状況はなかった。タウンシップの人たちの価値観、生きる強さ。山賊に襲われ、命あることの有り難味。アフリカで感じたことが頭の中で整理され、それの大切さが今日生かされている」

 一緒に行ってきた、アフリカでのことだ。言葉の内容には、私と身内が感じたことがそのまま表れているが、何か前向きなものが芽生えている証拠であるのは言うまでもない。

 3カ月近く続いた身内のうつに、終わりが見えた言葉でもある。

 アフリカの話はまた別の機会にお届したいと思っているが、うつ病と分かってからのこの3か月、私はずっと「他人事ではなく自分事と捉えること」だけを思って彼に接してきた。

 「自分だったらどうするか」

 無論答えは一つしかなかった。

 「初めてを味わう」

 アフリカは「初めて」が多かった。毎日が新鮮だらけだった。そして、楽しいことだけではなく、予想だにしなかった恐怖もあった。それは命の重みを見させいてくれた瞬間でもあった。

 どれもが、身内にとって、ヒントやきっかけになったに違いない。今だからこそ分かる。そしてそれは私にも言えることでもある。

 身内はこんなことも話してくれた。

 「うつ病の俺を救ってくれて、本当にどうもありがとう」
 「俺を救ってくれて、いい経験をさせてくれて本当にありがとう」
 「もう大丈夫。完全復活」

 うつ病を治す薬はない。だが、治すきっかけは必ずやあると思っている。

 身内の言葉に、涙腺がゆるんだ。

(記者:花嶋 真次)

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