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2008年07月22日(火) 12時33分

「岡田利規」という現象オーマイニュース

 岡田利規の『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が今年度の大江健三郎賞に決定したとの報に接したときから、いつかは紹介しなければと思っていた。

 同書所収の「三月の5日間」は、衒学的な物言いをあえてすると、語り手の位置を自在に動かす新手の「写生小説」とでも称すべき作品で、その新しさは、優れた達成と評価されるべきものと考えていたからである。


 しばしば引用紹介される時代気分をさりげなく、しかし印象的に表現した箇所は、次の場面だろう。

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 途中、交差点で待っている間に私たちは、デモが通り過ぎるのを見たり、ツタヤのビルの上部に掲げられた大きなビジョン──今日も今週のランキング上位の曲のPVが無音でフラッシュし、どんどん上位に入れ替わっていく──の真下に取り付けられた、電光文字ニュースの帯に確か「バグダットに巡航ミサイル限定空爆開始」みたいな文字だったが、それが流れるのを読んで、あ始ったんだねやっぱり戦争、とつぶやいたりした。

(「三月の5日間」『わたしたちに許された特別な時間の終わり』新潮社 58ページ)
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 9.11からあの日に至るまでをテレビを通して見るばかりだった日本人の様相を、これほどまで鮮明に表現した小説が、他にあるだろうか。われわれは、すでに時代の証しとなる文学作品を手に入れているのである。

 岡田利規は、同名の戯曲で2004年に第49回岸田戯曲賞を与えられ、当時からすでにその俊才は折り紙つき。語りの組み立て方や全体の構成にとどまらず、海の向こうの戦争と日常の小事を巧みに対比させての「われらの時代」の鮮やかな表出は、あまたの関係者を唸らせたことだった。

 幸い舞台の「三月の五日間」は昨年DVD化され、いつでも容易に鑑賞可能となった。そしてそれに続く形で、7月12日には、新作「フリースペース」のDVD発売が開始されている。

 意表をつかれた感があるのだが、NHKがこの新作のDVD発売をまるで宣伝するかのように、岡田利規の特番を組んだ(7月11日夜の『芸術劇場』)。その内容は、同氏に自作を語らせたうえで新作「フリースペース」ノーカット放送、加えて大江健三郎氏との対談つきという丁重さである。

 実演未見のままでのレビューは、本来、控えるべきところ。しかし、その夜、劇場中継の形で放映された「フリースペース」で示された内容は、前作にも増して時代の最先端を強烈に実感させるものだった。

 ファミリーレストランに集まった6人の男女の、一見とりとめないようで、明確な意図がこめられた1語1語の集積と、脈絡ないように提示され続け停止することのない演者たちの身体運動。それを両側から凝視する観客。

 録画ゆえに、その関係式まで明白になって、おそらく岡田利規が意図したと推測される枠組みのすべてが、それを画面越しに見る側にまるごと提供される形になっていた。

 あれこれの解説は、できれば聞かないほうがよかったのだが、作品を挟んだ前後の言説は、見る側にある方向性をもった理解を促すことにつながっていた。そのこと自体は、岡田利規は望まなかったのではないかと想像するのだが、同時に、NHKの番組関係者が前後の言説をともに不可欠と判断したことについては理解できた。岡田作品は、誰もに自明な、所謂「演劇」とはかなりの距離があったからである。

 どんな分野の作品でも、最先端に位置づけられるものへの理解には、時間や労力、加えてなにがしかの努力が必要である。大衆演芸や商業演劇とは、求められるもの、与えようとするものが、そもそもから異なっている。

 NHKが『芸術劇場』の括りで、ひとつの番組として提供した姿勢は、トレンドへの敏感さにおいて高く評価されてよい。番組自体が、先鋭的な作品への理解に向けて、大きな契機を多数にもたらす可能性を秘めているからである。

 演劇、文学という、まだ閉じられた世界だけのことではある。しかし、そうした場所を出発点として、今、「岡田利規」をめぐる、あるひとつの現象が着実に増幅・拡大しつつあることは間違いない。

(記者:石川 雅之)

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