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2008年07月22日(火) 12時23分

何も知らない自分を映した『バックドロップ・クルディスタン』オーマイニュース

 7月25日まで東中野ポレポレ坐(東京・中野区)で上映している『バックドロップ・クルディスタン』。トルコから来日し、難民申請をしていたクルド人のカザンキラン一家を追うドキュメンタリーである。

 試写で見逃していたので公開が終わらぬうちに、とやっと見てきた。

 野本大監督は現在24歳。映画を撮り始めたときは21歳だったという。監督の学んでいた日本映画学校映像科は3年制なので卒業年次にあたる。この作品、彼は卒業制作企画として企画書を提出したものの、「今の君には無理!」と講師に却下されたのだそう。

 が、状況が一転。野本監督が魅(ひ)かれてやまないクルド人一家は難民指定を認めない日本を訴えた裁判に負け、国連大学前で座り込みを決行する。

 やむにやまれず退学して一家を撮り続けることにした監督はそれから3年をこの家族とともにすごすことにした。

 ドキュメンタリーの“常識”からするとかなり異色な作風である。カメラの後ろの存在で、客観的な立場で対象に迫るはずの監督自身がしょっちゅう画面に姿を現す。

 どころか、登場人物の1人となり、カザンキラン一家とともに踊り・飲み食いし・泣き笑いしているのだ。一家の長女で監督と同じ年のゼリハには“マサルのことはわかるのよ。信用しているのよ”と名指しで言われるほどの近さにいるのである。

 日本映画学校からは何本ものドキュメンタリーが劇場公開されているが、その多くは“セルフ・ドキュメンタリー”と呼ばれる、自らを主人公に、周囲の人々や自分自身の抱える問題を考察していく種類の作品だった。主人公は語り手として画面に現れその葛藤(かっとう)をカメラに、観客にさらけだすことをいとわない。

 どうも本作も実はその一種であったのだ。

 野本監督は言う。

 「ぼくは一番近くにいた傍観者だった」

 彼は難民についても、日本の難民政策についても、クルド人についても、クルド問題についても、なにも、知らない。たまたま知り合ってしまったのがカザンキラン一家で、トルコのクルド人で、難民申請をしている人たちだった、だけなのである。

 そこで彼は“なにも知らない僕”をテーマにしたセルフ・ドキュメンタリーを撮り始めたわけだ。だからこの映画はクルド人問題や難民問題を告発する社会派ドキュメンタリーではない。そのかわり、“なにも知らない僕”はきみであり、あなたであるという働きかけとなり、観客も監督の発見を共にしていくことになる。クルド人とは、クルド人問題とは、難民とは、難民問題とは、そして日本とは……、と。

 話は変わるが、先日大分湯布院で開かれた第11回ゆふいん記録・文化映画祭に参加してきた。今回から設けられた「松川賞」の審査員としての参加だったのだが、ここに集まった中短編ドキュメンタリーにも、『バックドロップ・クルディスタン』を思わせる作品が何本かあった。

 ドキュメンタリーを学ぶ若者たちの多くは野本監督も含め、学校に入って初めて(幸せなことに)“語るべきことのない自分”に直面する。しかし、映画学校の授業では作品を作らなければならない。そこでテーマになりそうなコトを探す。見つけてから考える。いや、対象に選んだコト・モノとともに考えていく。自分がずっと考えてきたことを表現したり、対象にたいして自分の考えをぶつけるわけではないのだ。だって、始めるまでなにも知らなかったんだもの。つまりなにも知らない観客と同じ視点で対象に寄り添うわけだ。

 監督が自分自身の真実を語るために、事実=ドキュメントを素材として使い作品に仕上げていくというドキュメンタリーとは違うのである。対象の語るドキュメントを観客に知らせよう、事実の存在を広めなければ、というドキュメンタリーとも違う。観客を啓蒙(けいもう)しようという気はさらさら、ない。

 そして今はそんな非・啓蒙型ドキュメンタリーが、観客に近くわかりやすいし、作りやすいということで増えているのではないか。映画学校で学んだ若い作家たちが作るから、だけでなく、デジタルビデオとパソコンによるツール革命もこの傾向を支えているのだが。

 取材の対象とともに驚き育っていくドキュメンタリーも悪くはない。ただそれだけでは、物足りなくはないか。取材対象よりも作り手がひ弱では悔しくないか。佐藤真につづき土本典昭を失ったドキュメンタリー界である。若い作り手の中に、取材対象をしのぐほどの個性と信念と美学の作り手が誕生することを私は楽しみにしたいと思う。

 野本監督、まってます。

『バックドロップ クルディスタン』
ポレポレ東中野にてロードショー中、 ほか全国順次公開

(記者:まつかわ ゆま)

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