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2008年07月22日(火) 10時21分

【映画】宮崎アニメの魅力『崖の上のポニョ』〜おとなが子供に還る時ツカサネット新聞

♪ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子 青い海からや〜って来た♪これをCMを初めて見た時からこの歌が耳から離れなくなってしまった。ポニョという人間になりたい魚の女の子と5歳の人間の男の子の友情を描いたもので、アンデルセン童話の人魚姫がモチーフだという。宮崎駿監督にとっては、「ハウルの動く城」から4年ぶりの作品となる。

朝の情報番組では、連日のように主題歌を歌う「藤岡藤巻と大橋のぞみ」の3人のユニットが登場し、アニメをバックにかわいい歌を披露しながら大がかりな広告をうっている。宮崎アニメというだけで、好きな人にとっては、その広告効果はバツグンだと言えるが、この主題歌の効果というのもかなり大きいものだろう。

宮崎吾朗初監督作品の「ゲド戦記」の主題歌を歌った手嶌葵さんの「テルーの唄」もこの映画を引っ張る大きな牽引力になったと感じる。実際に映画館で映像とともにその世界に引き込まれている時に、そっと流れて来る彼女の歌は、なんとももの悲しく、それでいて静かな強さやしなやかさを感じ、映画の底に流れる強い意思のようなものを感じたのである。

子供だけでなく、大人も夢中にさせる宮崎アニメの魅力とは、どんなことなのだろう。「風の谷のナウシカ」、「となりのトトロ」、「天空の城ラピュタ」、「紅の豚」、「魔女の宅急便」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「耳をすませば」、「ハウルの動く城」、「平成狸合戦ぽんぽこ」、「猫の恩返し」、「おもいでぽろぽろ」など思い付くままに書き上げてみたが、これらの作品の象徴として、『海・山・雲・風・木・花・光・空気・四季・色彩』など自然や環境が必ず描かれている。自然破壊や環境問題などを映像とストーリーから訴えかけているとは言えないだろうか。

そして、強くて優しいしっかりした女性(少女)のキャラクターが描かれ、純粋な子供、動物も必ず登場する。それらは、神の存在、命の源や育むものを静かに問いかけてくる。自然の前では、人間の営みなど、ほんの小さいものだと教えられる。人間は、いつも自然に守られているのだということを映像とストーリーをもって教えられている気がするのである。

起承転結のストーリーがしっかりしていて容易に理解できる初期の作品に比べて、「もののけ姫」あたりになると、ストーリーよりもどちらかというと作者のメッセージ性の強い作品で、やや難解なイメージがあった。対象を子供に置いて、わかりやすい商業作品から「紅の豚」では、完全に対象を大人にスイッチしたような作品になり、やがて大人も子供も一緒に考えたり、楽しめる作品へと監督の思いがふんだんに込められた作品へと転換してきたように感じる。子供に感じて欲しい「生きる力」や「愛情」「友情」「命の尊さ」などは、当然、親である大人の世代もきちんと理解していなくてはいけないものだ。大人になるにつれて、そういう人として大切なものを1つ1つ忘れてしまうものだから。

宮崎アニメの範疇に入れるのは、少し違うかもしれないが、宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」は、実際の宮崎親子の姿とだぶる。偉大な親とそれに反発する息子。それぞれの生き方を見つめ直すことで自分という一人の人間を自分で認めることができるようになった主人公は、宮崎吾朗監督自身の姿に思え、あのストーリーの中に監督の言いようのない苦しみや迷い、悩みなどが透けて見えた気がした。しかし、これも“生きる”ためには、どうしても避けることができないことであるし、親子のあり方やそれぞれの存在というものを改めて問い正すいい作品だったと思う。

子供が親を殺したり、親が子供を殺したりする世の中、たかがアニメと思わずに、アニメだからこそ小さな子供にも理解できることや作者の訴えるものは、本当にたくさんある。たとえ、その時にすべてが理解できなかったとしても、子供は、成長とともに親や周囲の環境などからきっと理解していくはずである。だからこそ大人達がしっかり心を開いて、まず襟を正さなければいけないのではないかと思う。

子供に教えたいことは、大人にとってもとても重要なことであるのは、間違いない。夏休みは、子供の成長を一番、実感する時である。「崖の上のポニョ」を見て、親子でコミュニケーションを図るというのは、どうだろう。きっと子供の成長を感じることができるのではないだろうか。大人も純粋無垢な子供に還る時間が必要だ。

(記者:halfmoon)

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