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2008年07月18日(金) 19時07分

何のために競馬を開催するのですか?オーマイニュース

 7月10日掲載の「名馬の原点、笠松競馬場存続の危機」の読者コメントのなかに、タイトルとして使わせてもらいたい言葉があった。

 確かに、儲からず、それどころか市民の税金で穴埋めされている事業の存続に、どんな意味があるのだろう。

 中央競馬・地方競馬ともにそれが開催される理由は、国・地方公共団体の財政に資するため以外の何物でもない。これは他の公営ギャンブルも一緒である。そのため、刑法で禁じている賭博が、競馬法などの特別法によって認められているのだ。

 そういう意味では、立法の精神からいって地方公共団体が競馬の赤字経営を何年も行っているのは実におかしなことで、違法状態といわれても仕方がないことだ。

 財政に資するどころか、財政悪化の原因を作ってしまっている。どこぞのお役所が作ったハコモノみたいにテレビで「こんなものがいるんでしょうか?」と言われないのが不思議なくらいだ。

 確かに、私も競馬ファンだし、ノスタルジックな地方競馬がなくなることは辛い。笠松競馬場も訪れた中では好きな競馬場の1つだ。競馬場の風景も、そこにいる人たちも……。しかし、岐阜県民でもない私が、岐阜県民の血税を使ってまで笠松競馬場を残してくれとは言えない。それは競馬ファンのエゴ丸出しだ。このご時世、岐阜県には競馬以外にお金を使わなくてはならないことがいくつもあるはずだろう。

 ある日の笠松競馬場のレース構成を見てみよう。施行された11レース中、800メートルのものが2つ、1400メートルが7つ、1600メートルが2つとなっている。もちろん1周のダートコースしかない。正直、面白いだろうか。特に、中央競馬から競馬ファンになった人たちにとっては。

 しかも頭数が少ないため、難解なレースもオッズが低く、興趣を下げる。また、軸が堅いレースはもっとオッズが低く、どう買っても赤字になるような状態。3連勝馬券も驚くほど低いオッズ。これはつまらない。競馬ファンの多くは、少額で夢を見たいために馬券を購入するのだが、夢さえ見させてもらえない。

 他方、東京の大井競馬はどうだろうか。ある日施行された10レース中、1200メートルが3つ、1400メートルが2つ、1600メートルが3つ、1800メートルが1つ。しかも 1200メートルと1800メートルは外回りコースを使用、他のレースより直線が100メートルほど長い。この辺は予想のしがいがある面白いところだ。頭数も多く、オッズもそこそこなので、ひとときの夢が見られる。

 他にもナイター開催を大井競馬場同様行っている川崎競馬場、1000メートルのスプリント体系を下級から上級まで揃えるなどレース編成に面白みを持たしている船橋競馬場。これらと浦和競馬場がタッグを組んで「南関東競馬」として開催を一体化、効率的な改善も行いそれなりの業績を上げている。不景気でもギャンブル離れが進んでいても、それなりの努力をすればなんとかなるのだ。

 文化のために、地域のために、という理由で地方競馬を残そうというのは、南関東競馬がやってきたような市場原理に基づく自助努力を「何もしないで」放棄するもので、容認できるものではない。

 税金を使った馬文化の保護とは、絶滅しそうな在来馬の保護や、全国の馬を使った伝統行事に必要な馬資源を確保するようなこと、つまり市場機能ではできないことを補うことであるべきだ。

 競馬場の廃止に伴う弊害もあることは承知しているが(それはそのうち記事にしたい)、赤字競馬を存続させることの弊害はそれをはるかに上回る。何度も言うが、地方競馬の赤字は税金や公債で補填されているのだ。見逃せることではない。競馬ファンはファンとしての意識それ以前に納税者としての意識を持たなければならないはずだ。

(記者:辻 雅之)

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