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2008年07月18日(金) 11時26分

バロチスタンの風に乗って、歌い、走る──銀色の轍94オーマイニュース

<前回までのあらすじ>
 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。イランとパキスタンの国境にまたがって広がる、全長1000キロのバロチスタン砂漠。8リットルの水タンクを装備し、これに挑む。

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 国境を越えたパキスタン側の町クイ・タフタンは、僕に強烈な印象をくれた。崩れた建物が多く、瓦礫の山が目立ち、でこぼこの悪路。女性の姿はなく、男だらけ。風が強まるに従い砂煙が立ち込め、視界が霞む。

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 安宿は見つかったが、水道は止まり電気も通じない。夜になっても蒸し暑く僕は寝つけなかった。宿にはたいがい冷水機が設置されていたイランが、たちまち懐かしくなった。

 翌日、寝不足の中走った。朝は空気もひんやりとし、凪いでいたが、すぐに熱気がこもり、風も吹いてきた。10キロないし15キロごとに、ぽつりと小屋があった。軍の検問である場合もあり、茶屋になっているところもあった。ビスケットとチャイと濁った水くらいしか手に入らないが、それでも無性にありがたかった。

 クエッタまで残り650キロ、国が変わったことで通貨や公用語や道路事情は変わったが、砂漠の風土は変わらない。住んでいる人々もイラン側と同じバローチ族だ。

 クイ・タフタンから130キロでノックンディ、230キロでヤクマチ、間隔は遠かったが、町はあった。2日目の昼に通過したヤクマチは思ったよりも大きく、水はもちろん、パンやリンゴを調達することができた。

 僕はさらに東へ駆けた。次の町ダルバンディンまでは遠く、この日は野宿になることが予想された。しかし午後の太陽を背に追い風に恵まれ、速度があがった。

 交通量は少なく、砂漠を貫く1本道にひとり。ひたすらひたすらペダルをこぐ。こんなときは自然と口から歌がこぼれてくる。サザンやスピッツを歌い、中島みゆきを歌い、ドラえもんや赤とんぼを歌い、レパートリーが尽きて、最後は出身校の校歌に、君が代まで歌った。過酷な環境の中、連日3桁の距離を走って、なお自分の身体が調子よく動く事実が僕を上機嫌にさせた。

 (旅に出てよかった。自転車を選んでよかった) そう思えるとき。

 夕方、ふと気がつくと自分の影が薄くなっていた。雲が出たわけではなかった。西の空を振り向くと、太陽がうっすらと白くなって見えた。遠くで砂嵐が吹き荒れ、空を白く霞ませていたのだった。

 と、不意に小さな集落が前方に現れた。道路に並行して走っている線路の向こう、土壁の建物がいくつか集まっているのが見えた。はじめ僕は潰れた店が朽ち果てているのだろうと思った。イランでは同じパターンに何度か騙されていたからだ。

 しかしそこは、れっきとした生きた村だった。緑色に塗られた屋根を持つ小さなモスクがあった。凹形の建物に囲まれた広場の中央には丸いレンガ造りの台が置かれ、隣接した井戸では女たちが水汲みをしていた。みな鮮やかな色彩の服を着ていた。

 1本の木が緑の葉を茂らせ立っていた。恐らく地下に水が流れているのだろう。だからここに人々が暮らしているのだ。

 僕はおずおずとここに泊まることができるか尋ねた。たった1人、片言の英語を話す男がいた。彼は子供に命じて、僕の分の夕食を運んできてくれた。円台の上に座り、僕はカレーをご馳走になった。ここはパキスタンの西の果て、同時にカレー文化圏の入口でもあるのだ。

 やがて村の人々は各自の家に帰る。満天の星空に見守られながら、寝袋を敷いて僕は眠りに落ちた。

 パキスタン入国5日目、付近に核実験場があるという噂の村パダッグを過ぎると、風景が変わった。小刻みな丘越えの道、やがて周囲に緑が目立つようになり、集落が連続した。ラクダや羊が放牧されていたり、なんの作物かは分からないが畑が広がり、ところどころ用水路が引かれていた。

 通学帰りの子供たちが中国製の自転車で追いかけてきた。「ギブミーマネー」「ギブミーペン」と叫んでくるのが少々うるさかったが、周りの風景に生活感のあることが、なにより僕をほっとさせた。店があれば水も食糧も調達できる。

 (バロチスタンの一番苦しい区間は越えただろうか)

 やがて景色から緑が消えヌシキという町を通過すると、再び殺伐とした景色の中、道は峠にさしかかった。何台かのトラックがエンコして停まっていた。パキスタンのトラックはやたらに派手だ。カラフルな羽根やハート型の飾りを付け、バンパーには無数の鎖をぶら下げている。車体には、山の景色や草花の図案、あるいは映画のポスターのような女性の姿が描かれている。

 修理を諦めたのか、運ちゃんはそんなパキスタン式デコトラの下で鼾をかいていた。一体どうするつもりなのか。余計な心配をしながら僕は自転車で追い抜いていった。

【2002年9月16日 出発から23286キロ(40000キロまで、あと16714キロ)】

<次回予告>
 砂漠の道のりは甘くはなかった。僕を襲った「卵ゲップ」の恐怖とは……? (7月25日頃掲載予定)

(記者:木舟 周作)

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