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2008年07月17日(木) 14時26分

亀田興毅という男ツカサネット新聞

WBA世界フライ級1位の亀田興毅がメキシコで行われたノンタイトル戦で2回TKO勝利を収め、海外デビューを果たした。亀田一家の新たな船出だ。

亀田一家と言えば、ここで改めて説明する必要ないほどリングの内外で注目を集めてきた日本一有名な家族ではないだろうか。

類稀なるボクシングセンスと運動能力、礼儀を知らないビッグマウス、歴史的汚点とも言える大毅の世界戦での反則行為、そして所属ジムとの訣別と業界での孤立。彼らはスポーツというジャンルを越えてお茶の間の話題となっていった。

すっかり「悪」なイメージが定着してしまった彼らだが、僕個人としては「亀田興毅」というひとりのボクサーに対しては高い評価を持っている。その才能への評価というよりは、ボクシングに対する姿勢への評価だ。

姿勢も褒められたものではないよ、と思う人も多いかもしれない。マスコミに対する彼の発言や、マッチメークに関する様々な舞台裏には疑問符が付きまとうのも事実だ。だが、興毅はひとたびリングに上がると表情が、目が、スポーツマンのそれに変わる。自信と恐れとプレッシャーがない交ぜになった表情だ。

厳しいトレーニングを積み上げてきた自信と、勝負という世界への恐れ、様々なプレッシャー。ショービジネス化されつつあるプロスポーツの世界で、その表情を出せる選手が少なくなっている昨今、僕には新鮮に映る。

そんな表情を見ていると、「亀田興毅というボクサーは本当はとても気が弱いのではないか?」という疑問が湧いてくる。彼のビッグマウスはそんな自分の本質を知った上でのある種のトレーニングなのではないか、と思うこともある。たとえそれが、スポーツマンらしくない振る舞いであり、世間からバッシングの対象になることを承知の上でも、自分の弱さを克服するための強行なまでの手段なのではないだろうか。

人は往々にして表面だけを見て評価を下すものである。物事の本質、そこに至るまでの深層心理などには目を向けない。前述した僕の亀田興毅に対する考えが「本質」であるとは思ってもいないが、頭ごなしな先入観だけは持ちたくないと思うのだ。

内藤選手との世界戦で演じた反則行為(大毅)及び反則行為の指示(興毅)はけして許されるものではない。だが、父親である史郎氏の問題は別にして、彼らがその反省を活かし、やり直すと決意した意は汲んでやりたい。

気になるのが、今回のメキシコでの復帰戦を日本のメディアがどう捉えるかだ。
対戦相手は地元メキシコのボクサーでマリノ・モンティエル。ネットニュースでは「彼は2年以上も勝ち星のない選手である」という報道をみかけた。また「勝てる見込みのある選手としかやらない」とか叩かれるのか。この言い方は亀田にではなく、相手選手を冒涜するものに感じるのだが。

スポーツの世界は結果を出して初めて評価される世界だ。正々堂々とボクシングをしてチャンピオンになれば、それは認められるべきだろう。そして、そこからが亀田興毅というボクサーの真価が問われるはずだ。

気に喰わないものを叩くのは簡単だ。逆に認めるということは勇気がいることだ。
バッシングの中、勇気を持って闘う亀田興毅を、勇気を持って国民が認められる日がくることを、純粋なスポーツファンとして期待したい。


(記者:大山 謙)

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