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2008年07月17日(木) 17時41分

不倫は純愛と呼べるのかツカサネット新聞

キャスター復帰初日に妻子ある男とラブホテルヘ。『不倫疑惑』再来だ。過去の過ちをまったく教訓にしていない山本モナの行動は、計算なのか、真のおバカなのか、ただの“女”と化していたのか。

しかし、本人は性交を否定しているわけだし、ホテルの中で何があったのかは当事者しか知りえないこと。今回の騒動で『不倫』と称している報道もあるが、誰も現場を見ていないのに決め付けるのはいかがなものかと感じる。

ところで、『不倫』をウィキペディアで参照すると、こう書かれていた。

——配偶者のある男や女が、配偶者以外の異性と恋愛し、性交を行うことをいう(配偶者のいない男や女が、配偶者がいる異性と恋愛し、性交を行う場合も含む)——

なるほど、やはり不倫とは肉体関係を持つことが前提のようである。

では性交が無ければ問題ないのか? 残念ながら彼女は一般人と違って準公人。その立場から与える影響力を考えれば、無期限活動自粛は真っ当な処分と言えるだろう。そして巨人の二岡もまた、選手会長に就任しながら怪我で出鼻を挫かれた今シーズン、1軍復帰のメドも立ちこれからという時の火遊びは、いくらそのポジションが“遊撃手”でも許されないのである。

さて、たかだかフリーの女子アナと野球選手の不倫疑惑にここまで加熱する報道を見るに、やはり『不倫』というモノは、庶民感覚において許しがたい行為なのであると同時に、非常に興味のある行為なのだと改めて認識させられた次第だ。二人が以前から親密な関係にあったのか、この日限りの突発的なものだったのかは知る由も無いが、『不倫』という極めてグレーな男女の関係は、一人の芸能人生と一人の野球人生を大きく狂わせた。

彼らがそこまでして求めたかったモノって一体……。
悪酔いが過ぎたのか、一夜の秘め事か、それとも……純愛なのか。

ベストセラー「失楽園」、「愛の流刑地」などの著者である渡辺淳一氏は、「究極の純愛とは、見返りを求めない不倫の関係のなかにだけある」と述べている。大変失礼ながら私はこの二作品を拝読してはおりませんし、この言葉にある著者の伝えたい真意を得られるまでにはいかないのですが、この言葉を聞き率直に抱いたのは違和感だった。

互いに見返りを求め無くとも、その不倫関係によって双方がリスクを背負うことは事実。それはW不倫であろうと、片方にのみ配偶者が居ようと関係は無い。何より今回の件においては、不倫“疑惑”だけで双方は大変なダメージを負ったことになる。仮に双方が本気であって、「離婚を前提に不倫した」というならば、それこそ本末転倒なわけで。

それでも自分の意思を貫き、肉体関係を求める『不倫』が純愛だとするならば、妊娠、場合によって家庭崩壊のリスクを背負うことの重みも気づかずに、性交渉に興じてしまう十代の若者等もまた“純愛”ということになってしまうのではないか。「純粋=不純な愛」ならまだしも、「純粋=純粋な愛」だとするならば、本当にそれでいいのだろうか。

それは恋心。互いの手と手が触れることもどこか躊躇する、嬉しさと、緊張と、安らぎの混在した、愛おしさゆえの“心の葛藤”。愛する相手を守り、リスクを背負わせない気持ちこそ、プラトニックであるという考え方は、もはや時代遅れなのでしょうか。

今回の騒動でナベツネこと渡辺恒雄読売巨人軍会長は、報道陣の前でこう言い放った。

「君らだってやってんだろ」

安っぽい恋愛を大人が繰り返し、『純愛』などとオブラートに包み軽はずみな行動に移す。そんな大人が子供たちに対し、性の乱れを問うたところで、どこに説得力があるというのだろうか。

今回の騒動が示すように、そろそろゲーム感覚的になりつつある『不倫』という言葉を用いるのはやめて、原点に戻り『姦通』と表現すべきではないか。



(記者:桶乃弥)

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