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2008年07月17日(木) 20時36分

個人的体験から考えた教員採用不正防止策オーマイニュース

 大分県の教員採用汚職事件が発覚して以来、様々な立場から問題点が指摘されたり改善策が論じされたりしている。そこで10数年前まで当事者だった私の経験と考えを書いてみたい。

■7年の臨時教員生活のあと……

 20年ほど前、私は故郷の徳島県で臨時教員をしていた。毎晩11時頃までは翌日の授業の準備、それから1時くらいまで採用試験の勉強、という日々。先輩からは「3年くらい臨時をやってから合格する人が多いからがんばって。」と言われ、そんなもんかと思っていた。

 ところが2年目も3年目も不合格。20倍近い倍率の試験で本当に合格できるのだろうかと不安が高まっていった。

 そして4年目、5年目、やはり不合格。当時、その県の受験資格は29歳まで。もう時間がないと思い始めたある日、校長に呼び出された。

 「君のような人がなぜ合格しないのか不思議で、委員会に聞いてみたんだよ。そしたらねえ、なんだか組合とかサークルとか、いろいろやってるらしいねえ。委員会の人が言うにはね、筆記試験は高得点だし面接の評価も高いそうなんだが、組合やサークルが問題らしいんだ。これは私の提案だが、もうそんなことはしませんと一筆書いたらどうかね。そうすればすぐに合格だと思うんだが」

 腹が立った私は、そんなことはできないと答え、校長室を出た。

 ところがしばらくして、今度は私の父がこんなことを言ってきた。

 「県議が会社に来て、おまえが組合やサークルをやめれば、合格できるよう協力するって言うんだよ」

 父は大きな会社の重役をしていたので、議員とも度々会う機会があったのだろう。私は

 「今ここでその話を受けてしまったら、僕は将来子どもたちに本当に正しいことを教えられなくなってしまう。いくら生活が安定しても、一生十字架を背負いながらの教師生活なんて耐えられないよ」

と話した。父ももうそれ以上何も言わなかった。

 そして私は29歳の最終受験でも不合格通知をもらい、あきらめきれず故郷を捨て、翌年、年齢制限のない静岡県を受験し合格。正規教員として14年目を迎えている。

■不正はどこででも起こりうる

 採用選考が密室で行われている限り、不正はどこででも起こりうる。そして独特の閉鎖性、身内意識がある教育界ではそれが内部告発される可能性も低い。それならばどうしたらいいか。私は教育行政への県民参加と可能な限りの情報公開の2つが重要だと考える。

 教育行政への県民参加という点では、まず教育委員の公選制。

 教頭から教育長までのすべての役職人事が身内の相談で決定されている状況では、外からの監視が入る余地がない。教育委員会は時の権力者の支配を受けることなく県民に直接責任を負うべく、他の行政から切り離された独立行政機関とされている。

 しかし現状は首長の任命によって委員が決められ、会議は形式的、事務局が大きな権限を握っている。委員の公選制は教育行政の閉鎖性打破の大きな力となる。

 もうひとつは情報公開。

 選考基準や選考方法、試験問題などの公文書は開示される自治体が増えてきているが、問題は、受験者が書いた答案用紙などの個人情報である。

 静岡県では各試験ごとの得点と評価の一覧表が本人に郵送されるが、これだけでは今回のように点数の操作があってもわからない。採点済みの答案用紙があれば点数のごまかしはできないのだが、そこまでの情報公開を行っている自治体はごくわずかである。

 静岡県で、ある受験者が、自分の答案を見せてもらえるのかと電話で問い合わせた。すると、「疑っているのか。」と恫喝されたあげく、検討して返事をするからと、受験番号と住所、氏名、などを詳しく聞かれ、にもかかわらず何の返事も来なかった。

 またこれも静岡の例だが、別の人が直接、委員会に行って開示請求したところ、採点前の答案のコピーと、面接官の記述をすべて黒塗りされた面接評価用紙が出てきたという。

 個人情報保護条例があるにもかかわらず、受験者が自分の試験結果を詳しく知る権利はなかなか保障されていないのが現実である。

頑張っている人が、まっとうに評価される教員採用試験に

 臨時教員の中には、実力を十分に評価されながら何年間も不合格通知をもらい続けている人がいる。その結果、あきらめてしまった人もたくさんいる。力もあり、まじめにがんばっている人がまっとうに評価されない教員採用試験が続く限り、日本の教育は良くならない、と私は思う。

(記者:長澤 裕)

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