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2008年07月16日(水) 11時35分

大分・教育界汚職事件とは別の未来オーマイニュース

 大分県での教員採用試験を巡る汚職事件は、現職の県教育委員会幹部らが組織的に関与していたことが明らかになり、小矢文則教育長も11日の会見で「組織的と言われても反論できない」と述べた。被告・容疑者らは50代から60代、いい年をして——という以外に、言っておきたいことがある。

■「教育に新聞を」使っても学べないこと

 この面々、小学校校長だけではなく、県教委幹部(肩書は当時)らももともとは教員であったと伝えられている。私は20年あまり前の80年代前半ごろに大分県内の小学生だったので、当時の先生方が大体同じ年代に当たる。

 それで当時はどうだったのか、といっても小学生にわかったことは多くないのだが、昨年の夏に記事にした「広島式平和教育」を忘れることはないだろう。情報収集の結果、この風習は西日本でも教職員組合の勢力が強い地域に特有のものだったこともわかった。

 大分県は、かつては村山富市元首相に象徴される旧社会党王国であり、現在でも社民党の勢力が強い数少ない地域のひとつである。その社会党系政治勢力の支持基盤に教職員組合があり、一連の報道の中でも「組織率が高い県」と伝えられている。

 今回、事件が明るみに出て以来、かなり早い時期から「大分に限った話ではない」という主張が目立っている。しかし、その前に押さえておかなければならない点がある。大分の、それも教育界といえば、保守派をたたき出して作った「市民の治める国」のはずが、前近代的社会の劣化コピーになっていた点である。

 また、毎日新聞(7月12日付)は、NPO法人「おおいた市民オンブズマン」に「教員不正採用情報がこの10年で20件近く寄せられていた」、また「昨年 2月には県に調査を申し入れていた」と伝えたが、結局は別口で警察ざたになるまで放置されていた。90年代ごろに華々しい活躍が持ち上げられて全国展開した集団が、この件(県?)に限っては機能していなかったことになる。

■もうひとつの未来

 実は、私の父が若いころに大分で教師をしていた。これまた今回の登場人物と同年代に当たる。しかし、その判断は後の校長や県教委幹部らとは異なるもので、早々に見切りをつけて故郷を離れた。そして私を進学塾に放り込み、多くは語らなかったが、たしかに「教育者は止めておいたほうがいい」とも言った。

 これが、一家の生活を賭けた大ばくちだったわけだ。私はキャリア官僚にこそなれなかったが、就職超氷河期世代に当たりながら一応の定職を得たから、まあ負けてもいないだろう。先に「保守派をたたき出して作った」と書いた背景には、こうした経験もある。今回明るみに出た汚職事件にかかわらないことを選んだ、もうひとつの未来といえるだろう。

 「形骸(けいがい)化した採用試験を経た2世教員」と「報われない採用試験に繰り返し挑戦する非常勤」といった構図は単純明快であり、おそらくは実態にも近いものと考えられる。一方で、そのどちらにも含まれない私のような元教え子は、県内外に多数存在している。

 私たちは、平和・人権・平等・市民の声などを題目として掲げた人々が何をしてきたかを、体験として知っている。その経験を語り継ぐことは、戦後の日本においてはあまり社会的に認められていなかったような気がするが、状況は今まさに変わりつつある。この変化にオーマイニュースを含む「市民メディア」の拡大も影響していることは皮肉である。

(記者:渡辺 亮)

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