記事登録
2008年07月15日(火) 17時00分

“ラーメン王”急死…武内伸さん48歳、肝硬変で夕刊フジ

 日本ラーメン協会副理事長で、“ラーメン王”として知られた武内伸(たけうち・しん)さんが13日午前11時33分、肝硬変のため、入院先の神奈川県相模原市内の病院で死去した。48歳だった。「ラーメンは鶏ガラ、豚ガラ、(店主の)人柄の3ガラ」。こんな名文句を残した武内さんは、その生涯を全てラーメンに捧げていた。

 「私はラーメンを語り、ラーメンを広めることで収入を得て、ラーメンに食べさせてもらっている。ラーメン様には足を向けて眠れない」。ラーメンをこよなく愛した武内さんの口癖だった。

 関係者によると、武内さんは2年ほど前から肝機能障害を発症し、入退院を繰り返していた。今春には体調が回復し、「仕事に戻ってこれると期待していた」(大崎裕史・同協会理事)矢先に病状が急転、帰らぬ人となった。

 肝臓の病は持病だった。約10年前、肝臓を患った際、医者から「どんな食生活をしているのか」と聞かれ、武内さんは「3食ラーメンです」と答えた。医者が「それじゃ、ダメだ」と諭すと、武内さんが「実は、私はラーメン評論家でして…」と打ち明け、医者を呆れさせたという。それでも、武内さんはラーメンを食べ続け、当時4000食をクリアしていた。

 福岡県に生まれた武内さんは麻布高校2年の時、東京・荻窪の有名店「春木屋」のラーメンを食べ、その味に衝撃を受けた。以来、ラーメンの食べ歩きを始め、感想や評価を詳細に記録するようになった。

 日大を卒業後、建設会社に勤務しながら、同人誌などに独自のラーメン論を展開。1992年に出演したテレビ東京系『TVチャンピオン 第2回ラーメン王選手権』に優勝、第2代ラーメン王としてマスコミに登場するようになり、ラーメンの専門家として知られるようになった。

 95年3月、横浜に開館した「新横浜ラーメン博物館」の登場を機に勤務先を退社。同博物館の広報担当に転職し、2003年2月に退職するまで「ラーメン業界のスポークスマン」として活躍し、夕刊フジにも連載をもつなどした。その後、「ラーメン総合研究所」を設立、漫画原作、講演を行うほか、昨年10月から、日本ラーメン協会の立ち上げに尽力した。

 ラーメン店「支那そばや」店主で、“ラーメンの鬼”としても知られ、武内さんと親交のあった佐野実さん(57)は「思い出はいっぱいあって語り尽くせない」と言葉を詰まらせ、「最後に見舞いに行った時、たけちゃんの息が“ラーメン、ラーメン”と言っているように聞こえた。あいつのラーメンへの思いは熱く、濃かった。人生のすべてがラーメンだった。自分のほうが年上だけど、いろんなことで勉強させてもらったし、業界に与えた影響も大きい。彼はラーメン業界の国宝みたいな人。棺にはラーメンを入れようと思っている」と話した。

   * * *

 武内さんの通夜は15日午後7時、葬儀・告別式は16日午後2時から、相模原市古淵3の33の21の相模斎場で。喪主は長男の健志郎(けんしろう)さん。

【関連記事】
長野・佐久「安養寺らーめん」仕込み中 ご当地みそ味、6店協力
【街物語】(21)新一条流がんこラーメン 「客至上主義」の味
ご当地ラーメンで大阪を元気に!
NYで本格「Ramen」ブーム?有名店出店 地元メディアも特集
「ラーメン倶楽部」特集

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080715-00000005-ykf-ent