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2008年07月14日(月) 17時18分

早稲田鉄道研究会 氷河期世代のキャリア、趣味どころでない現実MyNewsJapan

 東大・一橋、早慶などは、就職では優遇される学校だと一般では言われる。だが氷河期後期のこれらの大学卒業生は、就職でも苦労し、その後のキャリアにも恵まれていない。

 早稲田大学鉄道研究会を氷河期後期の2003年に卒業した人々は、順調にキャリアの道を歩んでいるわけではない。新卒就職に失敗、早期離職、入社した企業でもほとんど給与が上がらないと、厳しい現実の壁にぶち当たっている。「ヒルズ族IT長者」でも「ネットカフェ難民」でもない、氷河期世代の実情がここにはある。

 私は2003年3月に大学を卒業してすぐに就職したわけではない。新聞社を目指していたものの、失敗し留年、留年後も職がなく、そのまま卒業した。

 地元や東京のハローワークで必死で職を探し、2004年の8月に東京の小さなソフトウェア開発の会社に転居して入社した。

 だが、研修らしい研修はjavaのソースコードを打ち込むことしかなく、「覚えが悪い」と解雇。この間、趣味らしいことといえば、コミックマーケットに行ったくらいだ。解雇の際には、一か月分の給与が出ただけで、解雇予告手当ても引っ越し代も何も出なかった。

 再び職を探し、2005年3月に内定を貰った。当時は知らなかったが、「外国為替証拠金取引」というものらしい。そもそもその取引の内容や仕事をよく知らないで入った。仕事内容も知らされないで4月に入社したその会社での仕事は、電話営業だった。

 朝8時から夜8時まで、電話帳を見ながら電話をかけまくる仕事だ。出社は朝7時で、退社は夜10時。求人票では朝9時から夕方6時までとなっていた。電話営業がうまく行かないせいか、先輩からはパワハラを受けた。この会社は、上司に殴られた5月の末のその日に辞めた。

 それ以来フリーライターをしていたが、正社員への思いは止みがたく、2008年3月にある物流業界の業界紙に就職した。だがそこではパワハラを受け、仕事が思うように出来なくなり、「仕事ができない」とみなされ、同月中に解雇された。そしてフリーに戻った。

 とても、鉄道趣味どころの人生ではない。

 早稲田大学鉄道研究会の同期は、正社員2人、公務員2人、休職中1人、個人事業主1人、無職1人ということになる。そのうち2人に話を聞くことができた。

 A君は現在無職。編集プロダクションを経て、芸術系団体の職員に。最初の会社では過剰労働で、次の団体では対人関係で勤め先を辞めた。いずれもメンタルヘルスを壊し、ドクターストップがかかってのものだ。2度目の勤め先では自傷行為をした。時々は鉄道に乗りに行くという。他にも、コミックマーケットにはよく参加する。

 B君は現在システムエンジニア。彼は留年もなく大学院にも行かず新卒で運良く企業に就職し、そのまま退職せずにいる唯一の同期である。だがいい思いをしているわけではなく、給料はほとんど上がっていない。転職についてはほとんど考えておらず、「転職するならプロジェクト管理を経験してからにした方がいいと上司に言われている」とのことだ。

 趣味活動も鉄道からネット・パソコンへと変化し、自作パソコンでニコニコ動画を見るのを楽しみにしている。結婚を考えているものの出会いがなく、その上「子どもを作ったとしても育てられないし、早稲田になんかやれないよ」と語る。

 趣味に生きられない氷河期鉄道ファン。時代の厳しさは、趣味からも引き離す。

(小林拓矢)


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