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2008年07月12日(土) 08時01分

二岡さんに負けない!寺内猛打&岩舘2二塁打!原巨人2位スポーツ報知

 ◆巨人4−1横浜(11日・東京ドーム) 原巨人が今季初の2位に浮上した。先発のグライシンガーが1、2回の大ピンチを粘りの投球で封じ、結局7回を8安打無失点で8勝目。打線では8番に起用された寺内がプロ初の猛打賞となる3安打、2番・岩舘が適時打を含む2二塁打と若手内野手2人が躍動した。二岡の1軍復帰が近いが、つかみかけたレギュラーの座を渡すまいと、必死のプレーでアピールだ。貯金を今季最多の4とし、ヤクルトに敗れた中日をかわして、上には阪神のみ。12ゲーム差とまだまだ遠いが、一歩一歩、追い詰めていく。

 初めてお立ち台に立つと、今までの苦労を思い出した。岩舘は目頭を押さえ、寺内は心の底から笑った。「本当にうれしいです」当たり前の言葉しか出てこなかった。表情は違ったが、2人とも「やるしかない」という思いは同じだった。

 派手さはない。どでかい一発もない。だが、誰にも負けない闘争心があった。1点リードの4回、まず舞台を整えたのは寺内だ。1死一塁で、ヒットエンドランのサインに応える左前安打を放ち、グライシンガーのスクイズを呼んだ。リードが3点となり、なおも2死二塁で、今度は岩舘が続いた。高めの直球を振り抜くと、打球は右中間で弾む適時二塁打。若武者2人で扉を開き、そしてダメを押した。3打数3安打でプロ初の猛打賞をマークした寺内が「スタメンで結果が出ていなかったんで、うれしいです」と言えば、2つの二塁打を放った岩舘も「1打席1打席を必死にやっているだけ」と冷静に話した。2本のバットがたたき出した5安打が今季最多の貯金4を引き寄せ、今季初の2位もたぐり寄せた。

 本当だったら、お立ち台には立てなかったかもしれない。1軍昇格が濃厚だった二岡が、不倫騒動などでこの日の合流を見送られた。昇格がささやかれ始めた6月下旬、2人は同じ気持ちを抱いていた。「二岡さんが上がったら、2軍落ちは僕かな。でも、絶対にイヤ。何とか食らいつく」と岩舘が言い、寺内も「いつ上がって来られるんですかね。考えても仕方ない。やるしかないです」と気持ちを入れ直した。

 結果で見せるしか、残る方法はなかった。フリー打撃で岩舘は、ノーステップでスイングして得意の右打ちに磨きをかけた。「打てない分、守備はしっかりしなくちゃ」と言う寺内は、三塁の守備位置で30分以上、1人でノックを受けた。単打を狙いやすくするため、グリップエンドがボールほどもある大きさのバットを発注するなど、あの手この手で結果につながる糸口を模索した。

 6日の中日戦(ナゴヤD)で岩舘はバントを失敗し、8日の阪神戦(甲子園)では満塁機で併殺打に倒れ、守備でもミスを犯した。寺内も6月8日の西武戦(東京D)でエンドランのサインに空振り三振。失敗を糧にして、原監督の期待に応えた。「今日はヤングボーイが頑張った。これを肥やしにしてほしい。彼らにも、チームにとっても大きかった」と指揮官は悔しさをバネにした伏兵に拍手を送った。岩舘の「プロに入って、ここに立つのが夢でした」という言葉、寺内の「最高です」という叫び。ヒーローインタビューを食い入るように見つめた4万人を超えるG党は、20代とは思えない渋い活躍をしっかりその目に焼き付けた。

 巨人・原監督「きょうは(岩舘、寺内と)若い力が頑張った。これを肥やしにしてほしい。彼らにとってもチームにとっても大きいですね。グライシンガーは立ち上がりの2回を0点に抑えたのが大きかった。上原は全体的によくなっている」

 ◆岩舘 学(いわだて・まなぶ)1981年4月14日、千葉・成田市生まれ。27歳。成田高から東洋大を経て、03年ドラフト5巡目で入団。177センチ、76キロ。右投右打。推定年俸850万。家族は妻。

 ◆寺内 崇幸(てらうち・たかゆき)1983年5月27日、栃木・栃木市生まれ。25歳。栃木工からJR東日本を経て、06年の大学・社会人ドラフト6巡目で入団。177センチ、74キロ。右投右打。推定年俸800万。独身。

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