記事登録
2008年07月11日(金) 17時53分

世界で1番うまいものは、水──銀色の轍93オーマイニュース

<「銀色の轍」前回までのあらすじ>地球1周4万キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。イラン東部の田舎の集落では、アフガニスタン難民と間違えられたのか、悪ガキ団に囲まれてあわや一触即発の危機。

 ------------------------------

 9月12日8時半、僕は1人バムの町を出発した。40キロでロスタムアバッド、ここは普通に町だった。

 60キロでファラージの集落、小さな売店がいくつか集まる程度であった。サンドイッチを買いその場で食べた。果物は売っておらず、仕入れ損なった僕はロスタムアバッドで買っておくべきだったと悔やんだ。

ほかの写真を見る

 売店の脇にモスクがあり、水道があった。水をくんで飲む。またくんで飲む。げっぷをしてさらに飲む。もう1杯飲む。僕はおなかが苦しくなるまで水を体内に詰め込んだ。いくら飲んでもどれだけ飲んでも、十分でなく思えた。好きなだけ自由に水が飲めるのは、これが最後だと分かっていた。この先イラン東端の都市ザヘダンは250キロ余り先、到着は明後日になる。

 バムで仕入れた8リットルの水タンクを満タンにした。さらにペットボトルを積んで10リットルの備え。タンクには取っ手がついており、自転車のハンドルにぶら下げることができた。単純に8キロ以上の重さになり、ハンドルが傾く。

 4リットルのタンクを左右に配分すればバランスはとれるのだが、ちょうどいい大きさの物が売っていなかったのだ。売店の兄ちゃんたちは物憂げにこっちを見やっていたが、僕は内心(おれはやってやるんだからな)と息巻いていた。

 ファラージを出るとすぐに何もない灰色の大地が始まった。遠くに褐色の山が連なり、どこまでも広く果てしない青空が天を覆っていた。舗装は凸凹とし道は狭かった。まっすぐに続く黒い道路をじっと見つめ、僕はペダルをこいだ。

 今までよりも標高が下がり一段と猛暑。向かい風は熱風となり日陰はない。5キロごとに距離を示す標識があり、その影が提供してくれるわずかな面積だけが、直射日光から逃れることのできる貴重な憩いの地であった。時折けたたましいクラクションを鳴らして、バスやトラックが行き過ぎた。そのたびに風圧で僕はあおられた。

 バムから113キロ、標識で何度も登場したシュルガツという地名の場所に町はない。《何もない町、シュルガツ》と情報ノートには記されていた。しかし軍の駐屯があった。かめに入った水をもらうことができた。水は濁っていたが、僕は有り難く頂いた。

 やがて夕暮れが訪れた。当然のこと野宿である。僕は道路から離れ適当な砂地にテントを張った。買い込んでいた食糧はミートソースの缶詰と、パリパリに乾いて水気ゼロのパン。おなかにたまる量としては十分だったが、流し込むための水が限られていた。1日炎天下の中を走り続けて、体内からどれほどの水分が奪われているか分からない。手持ちの水のすべてをひと息に飲み干せてしまうほどの渇きの欲求があったが、明日のことを考えると相当量を残しておく必要があった。

 僕は自らの心を鬼にしてタンクの蓋(ふた)を閉め、西の空へ沈んでいく夕日を目で追った。東の空から天を支配しようとにじり寄ってくる紺色の夜闇に、気持ちを溶かした。優しい夜。やがて疲れが身体を包むのに身を任せ、僕はテントの中に潜り込んだ。

 翌朝まだ涼しい内に距離を稼ごうと、日の出と共に起きだして、6時過ぎには走り始める。空気が涼しいのはつかの間ですぐに暑くなってしまうのだが、10キロ程走ったところで、砂漠の中に突然、お祈りのための台が設けられているところがあった。屋根があり、手足洗い用のタンクには水が入っている。好ましくない味がしたが干からびるよりはましである。僕はごくごくと飲んだ。

 途中、情報ノートに書かれていたカフラックという場所の店はつぶれていた。しかし廃虚のそばで水が湧(わ)いていた。その先には、砂漠なのにちょろちょろと水の流れている川があった。付近をとんぼが飛んでいて妙な秋の風情があった。

 再び砂漠。午後になると峠道、長い上り坂が続いた。崖(がけ)の切り通しに日陰が生じるのは有り難かったが、緑はない。カフラックでくんだ水も休憩のたびに減っていく。水分の足りない身体は軋(きし)み、ペダルをこぐ足は重い。速度が出ないと肌に触れる空気も熱い。それでも汗だけは際限なく滴り落ちる。

 やはりこの土地も一神教の世界だと僕は感じた。強大な帝国を築いていたササン朝が新興イスラム勢力にあっという間に滅ぼされてしまったのも、何よりこの風土がイスラム教に似合っていたからなのかもしれない。こんな殺伐とした世界を幾日も幾日も自転車で走っていたら、どこかで神に出会ってしまいそうな気さえする。

 《世界で一番うまいものは、水》、乾いた血管をさらに絞るようにして、僕は走り続けた。

【2002年9月16日 出発から22994キロ(40000キロまで、あと17006キロ)】

(記者:木舟 周作)

【関連記事】
木舟 周作さんの他の記事を読む

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080711-00000008-omn-int