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2008年07月08日(火) 12時42分

立川談志・談春親子会の沈鬱オーマイニュース

 沈鬱な落語会だった。

 6月28日の土曜夜に東京・歌舞伎座で行われた「立川談志・談春親子会」についてである。

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 当初の告知では「慶安太平記」と「三軒長屋」をリレー形式で高座にかける、とのことだったが、終わってみれば、談春の「慶安太平記」の前半部分「善達の旅立ち」と中入り後の「芝浜」、間で談志の「やかん」という演目になった。

 ここのところの体調不良が伝えられ、当夜の高座も危ぶまれていた。絵柄としては師弟2人しての晴れ舞台となったものの、談志の、声を思うように出せずにいる姿は、見ていてただ辛くなるばかり。本人も、しきりにこうした姿をさらして申し訳ないと繰り返す。

 その言い訳が耳に痛くもあり、小咄を並べ、外国のジョークを紹介しながらの気力をふりしぼっての「やかん」は、残念ながらもはや聴くに堪えない。

 息も絶え絶えに、なお、客席に気を遣い旺盛なサービス精神を発揮しようとする姿に、胸を締めつけられ、もうやめてください、と涙を堪えることができなかったが、それはまた別の話である。

 周囲に座っている事情通とおぼしき何人かは、聴けて良かったですね、頑張ってましたねと満足げだったが、その高座姿さえ見ることができればそれでいい、というものではない。

 一般の人の多くは、時間を調整し、労を重ねてこの日のチケットを手にして駆けつけているのである。チケット代も、落語会としては高額。談志は「これが最後の舞台かもしれないよ」と口にしていたが、2000の座席を埋め尽くした全員がその証言者になるために、当夜、歌舞伎座に集まってきたわけではない。楽しめず、寛げずして、なんの「落語会」だろう。

 一方の談春も、口開けの「慶安太平記」では澱みのない口跡をたっぷり聴かせてくれたが、中入り後のマクラなしの「芝浜」は、出来としてはもうひとつ。女房が3年間隠し通し続けてきたことを明かすあたりは思いが溢れ、目頭を熱くさせられたが、一切の借金がなくなって暮れを終えようとする主人公の安堵感をばっさり割愛して、演じぶりだけでなく、噺自体がそもそも持っているはずの情感も欠落させて、実に物足りない。

 体調不良の師匠に代わって大任を果たさねばとの必死な感じが前に出過ぎて、空回りしていているように思えてならなかった。そもそも「芝浜」は、客席が固唾をのんで聴くような噺ではない。

 そういう雰囲気をつくり出してしまうのはいかがなものか。昨年末に横浜にぎわい座で聴いた「芝浜」のほうが、ずっと胸に沁みる高座だった。噺ぶりそのものに、当夜の舞台裏の動揺(詳細は観客にはまったく分からない)が影響していたのかもしれない、と割り引かれるのは、談春にとって本意ではないはずだ。

 今春、相次いで上梓された師弟2人の回顧本は、ともに一気に読ませるいい内容だった。二書を読み通すと、談春が談志落語の最も正統的な継承者であることがよく理解できるのだが、当夜の歌舞伎座での親子会は、リレーの形で同じ演目を高座にかけることで、そのことをあらためて巷間に周知する正調、本寸法の機会にしようとしたのではなかったか。

 残念ながら芸そのものでのバトンタッチは実現しなかったが、不調の師匠と、それに動揺する弟子の狼狽ぶりで、結果的には、2人の繋がりようを明瞭に具現化した親子会になった。もうこの先、ふたりのリレー落語は聴けそうにない、との見通しもはっきりと知らされたようだった。

 足取り重く歌舞伎座を後にしたのは、決して記者ひとりではなかったろう。

(記者:石川 雅之)

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