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2008年07月04日(金) 17時34分

◇読者レビュー◇『ケータイ小説活字革命論』 伊藤寿朗著オーマイニュース

 携帯の進化は、バケット定額制、いわゆるバケ放題のころから始まったのではないかと思う。

 電話やメールと言った通信手段としての携帯から、情報の受け手に、さらには自らが情報の発信者となっていく。音楽から始まったコンテンツは、映像に広まり、携帯小説を生み出した。書き手と読み手の双方向の広場がそこに生まれ、一つの時代を共有する。

 著者の伊藤寿朗氏は、ユーザーにホームページの場を提供する「魔法のiらんど」というサイトのたちあげからかかわっている。このホームページにひもづけられたBook機能から生まれたのが携帯小説である。

 携帯小説は書き手が送った原稿がそのまま章立ての自動編集となる。いわば連載小説であり、毎回、読者はそこに書き込みもできる。ネットの世界の怖さであるが不特定の心無い中傷に傷つけられて、書き手は原稿を休むことが常である。

 しかしこの書き手が書き始めるのもまた、読者の書き込みによる「続きを読みたい」という後押しなのである。

 以前、テレビドラマで「どうかヒロインを死なせないで」とかいう投書や電話が局にいくつも届くということがあったが、こうした読者の書き込みによって書き手と読者の双方向による作品が完成していくという面もこの携帯小説の特徴と言える。

 ユーザーは10代の少年少女たちであり、同じ世代が持つ感性で一人ひとりの思いへの共感が生む文学と言ってよいだろう。

 体験を元に書かれた文章は平易で、感傷的であり、いわゆる文芸批評にさらされれば、取り上げるに値しないといわれるかもしれない。しかしそこに息づく日常は純真でいちずな感情の軌跡である。そこに読み手は自身の生き方を重ね、前向きに道を捜し求める。

 ベストセラーにいくつもの携帯小説が並ぶに及んでビジネスチャンスの到来と意気込む出版界に、伊藤氏は苦言を呈す。携帯小説をビジネスとして取り上げようとする人たちのほとんどが作品を読んでいないという現実に、「市場を刈り荒らして根絶やしにするのではなく、長く続く市場として参加し続ける前提で臨んでほしい」と。

 携帯と言うツールが起こした宣伝活動のムーブメントが億の市場を作る。しかしその仕掛け人であった伊藤氏が出版に至った作品では、常に作者と直接の話し合いで作ってきた。アナログの世界のやり方で書き手に対応をしてきたことを見るとき、書き手の心を大切にする伊藤氏の編集者としての姿勢が、この市場を作り出したと言えるように感ずる。

 秋葉原の殺人事件や、それに続くような殺人予告の数々、フィルタリングの是非、学校裏サイトの書き込み……。新聞をにぎわすのは、携帯の暗部がほとんどである。

 しかし携帯を手ばなすことのない10代が抱くこのネット空間は、もっと明るく、かつセンチメンタルで、純粋な思いを共有できるものであるのかもしれない。

 「魔法のiらんど」が立ち上げのときにアイポリスによるサービスの健全化を一義とし、ビジネスの前に、ユーザーの利益を守った姿勢がこの携帯小説の今を作ったといえるだろう。サイト主催者ができることはまだまだあるのではないだろうか。

 携帯が普及し始めたのはここ10年。あっという間に広がって、小学生が持つことも珍しくなくなった。私は機能の何割を使いこなしているだろう。バケ放題で自由自在に活用している平成生まれの息子を見ながら禁止条項ばかりを討議しなければいけないもったいなさを感じてしまう。


角川SSC新書
2008年5月30日刊
760円(税別)

(記者:曽野 千鶴子)

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