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2008年07月01日(火) 16時17分

現代版「徴兵制」の導入を目指せオーマイニュース

 国外旅行の際に誘拐や人質事件に巻き込まれる日本人が増えている。イラクでの人質事件を初め、イランでは誘拐された邦人学生が8カ月ぶりに解放された。

 このような事件がおきるたびに出てくるのが自己責任論だ。つまり情勢不安定な地域に行って誘拐などの被害にあった人の救出は政府が行うべきではなく、また費用も税から支出すべきではないというもの。

 この傾向を危惧した木舟周作記者が「旅の自己責任論は、若者の好奇心や挑戦心を奪う」という記事を書かれた。適切な準備をして出かけた旅行者が現地で事件に巻き込まれた場合には、国民である以上、政府が保護すべきであり、邦人保護を放棄してしまえば、内向きな若者の海外雄飛をいよいよ阻害する、という趣旨の記事だ。

 コメント欄で議論が交わされたが収斂しなかった。自己責任論を展開した人が、主に準備や知識の不足したいわば「旅行初心者」を念頭に議論したのに対し、国の邦人保護責任を論じた人は、充分な準備や情報をもった「熟練旅行者」を念頭においたため、一般論としては収斂しなかったのだ。私はこの2つのグループを別々に考えたほうがよいと思う。

 木舟記者は、「(熟練)旅行者は自分の判断で旅先を選ぶ。事故に遭うつもりで目的地を決めはしないが、最悪の覚悟は持っている。情報を適切に集める。ヤバイと思ったら引き下がる。事故に遭ったとすれば、それは自身の不運、もしくは無謀。それ以上でも以下でもない」と書いている。

 しかし、私の住んでいる北京へ来る日本人を見てると、「最悪の覚悟は持ってない」、「情報は集めてない」、「ヤバイと思っても引き下がる知恵も経験もない」という人たちがとても多い。中国に来る日本人の旅行者は水と安全はどこでもタダだと信じているようだし、コントローラのボタンを1つ押せば物事がリセットできると思ってるようだ。いわば外国旅行の「1年生」のような人たちだ。

たまたま、イタリアのフィレンツェの大聖堂に落書きした学生らが処分を受けたニュースが飛び込んできたが、こちらは「1年生」以下と言っていい。なかにはいい年をした高校の野球部監督まで落書きに加わったそうだから、未熟さは年齢とは関係ないのだろう。このような人たちが危険地域へ行って人質になった場合、政府が国費を使って救出すべきかというと、私はノーだと思う。

 その一方、フリージャーナリストなどを含む熟練旅行者が、充分な準備の上で出掛けて、たまたま人質事件や事故に巻き込まれることがあれば、政府が国費を使って救出すべきだと思う。つまり、国が自己負担を求めるケース、求めないケースの2つがあっていいと思う。この区別は大変難しいが、これを区別することは国民=納税者及び政府のCommon Senseの使いどころなのだと思う。

 では、いい年をして落書きをするような未熟な旅行者はどうすれば減るのだろうか。

 先日、中国へスポーツを教えに来ている日本の青年海外協力隊の方々と北京で会った。彼らの年齢は落書き学生とあまり変わらないが、日本と中国の両方をしっかり見ているし、自らの安全に関する意識もきわめて高い。日本の海外青年協力隊は現在2500人あまりが75カ国の第3世界で働いており、中国でもいま 60人あまりが活躍している。

 落書き学生に代表されるような「おとなこども」の再生産を避けるために、日本は徴兵制ならぬ徴用制を始めるべきだと思う。20歳になった男女から選抜して毎年10万人ぐらいを第三世界に送り出す制度は、作ろうと思えばできるはずだ。必ずしも政府開発援助と連動しなくてもよい。

 日本で成人に達するのは毎年大体130万人前後だ。いまの日本の国力なら、その1割程度を海外に送り出す余力は充分にあるはずだ。学生なら帰国後復学の制度を作ればいいし、社会人なら帰国後、もとの所属組織に戻れるよう、海外協力隊が今やっているような仕組みを作ればよい。

 京都市はいまでも上級職採用に青年海外協力隊帰国者枠を設けている。政府や自治体は、徴用から帰国した青年を優先的に採用するようにすればよい。そうでなくても企業は、引きこもりでオタクやフリーターをやっていた若者より、そのような経験を経た者の採用を望むはずだ。

 現代の「徴兵制」は、「自己責任」を実地に体験する事を忘れてしまった日本社会を再生する道だと思う。

(記者:趙 秋瑾)

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