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2008年06月28日(土) 00時00分

「負けたら最後」とらわれ過ぎ読売新聞

石田衣良(いら)さん 48
石田衣良(いら)さん 48 作家。秋葉原を舞台にした「アキハバラ@DEEP」を著す。若者の心理描写に定評がある。2003年に「4TEEN フォーティーン」で直木賞を受賞。

 ——加藤智大(ともひろ)容疑者(25)はなぜ犯行場所に秋葉原を選んだのだろう

 秋葉原はインターネットの掲示板のような街だ。ゲーム、フィギュア、パソコンなど様々な分野のスレッド(掲示板)に様々な立場の人間が書き込んでくるのと同じように、いろいろな趣味の人が各地から集まってくる空間だ。携帯サイトへの書き込みから想像すると、彼は孤独で、誰かとつながりたかったのだろう。秋葉原も携帯サイトも、遠い所にいても趣味が同じならつながることができる世界。どちらも彼の理想郷だったのではないか。

 ——石田さんも秋葉原によく通っていたと聞いたが

 私が秋葉原に行くようになったのは中学生のころ。音楽を聴くカセットの生テープを買いに月に2回は通ったものだ。かれこれ30年以上たち、その間、家電の街からパソコンの街へ、さらにパソコンのソフトやゲーム、漫画などに主役は移ったが、今もすべて混在するのが秋葉原の良さ。しかし、街の変化につれ、集う人は互いに無関心になった気がする。最近、茨城県土浦市の連続殺傷事件など、凶行に走った若者が秋葉原に執着していたと報じられることが多いが、その無関心や孤独を秋葉原なら受け入れてくれると思ったのではないか。

 ——なぜ自分の「理想郷」で犯罪を犯したのだろう

 秋葉原を歩くほかの人は楽しそうで、自分だけが苦しい環境にあると思いこむ、いわば近親憎悪のような感情なのかもしれない。同じような境遇の人は大勢いる中、彼だけが一線を越えてしまったのは、「一度負けたらおしまい」という思いにとらわれ過ぎていたからでは。こうした風潮は広がっている。親が「再チャレンジは無理」と思っているから子供のお受験にやたらと力を入れ、教師や官僚も失敗を恐れ何事も無難に過ごそうとする。失敗してもはい上がれる「柔らかな粘り」のようなものを子どもたちが学べる環境を作るべきだ。

 事件や社会問題には様々な〈顔〉があります。新企画「アングル」では、各方面の識者に多角的な視点から分析してもらい、読者の方々に考えるヒントを提供できれば、と考えています。第一弾は、東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件。逮捕された加藤智大容疑者(25)の心理や事件の背景を読み解いてもらいます。

http://www.yomiuri.co.jp/national/angle/na_an20080628.htm