記事登録
2008年06月27日(金) 12時51分

緊急地震速報がなくても地震が来るのは分かる!オーマイニュース

 今年に入り、中国四川省において数万人の死者を出す大地震が起き、国内では岩手・宮城内陸地震が起き、ともに多くの死傷者を出した。そして、私はこれらの報道を耳にし、過去に自らが体験した地震のことを思い出した。

 今から34年前、1974年のことで、私は当時15歳で中学3年。伊豆の東海岸で暮らしていた。

 その日、私は学校にいた。学校というところには大概、長い廊下があるもので、私はその時、その長い廊下の端にいた。そして、地震が来たのだ。床が大きく揺れた。長い廊下が、大海原の海面のように大きくうねり、ねじれ、「くねくね」と不気味にうごめいていた。

 そして、「フッ」と窓越しに外に目をやると、コンクリートでできた電信柱がコンニャクのように「ゆらゆら」揺れ、電線は人もいないのに長縄跳びの縄のように跳ねていた。その地震の震度は、私の記憶だとたしか「震度5」だったと思う。

 伊豆の東海岸では、地震はしょっちゅう起きる。そのため、私もそうだったが結構多くの人が震度3、震度4くらいの地震では、「アッ、揺れてるな、また来たか」くらいで済ませていた。しかし、その時ばかりは、私も背筋が「ゾクッ」として、「こりゃ、ヤバイぞ」と思い、初めて地震による身の危険を感じたのだ。

 それでも、「これは、これでおさまるだろう」と安易に思っていたのだが、それはとんでもない間違いで、その大きな地震はその後に起きた出来事の始まりだった。

 その時、その地震に付けられた名は、「伊豆半島沖群発地震」。

 「群発」という名が付けられたほどなので、その後、震度3、震度4程度の地震が日に数回起こり、それが数週間続いた。そのため、不安や恐怖感から来る「不眠、食欲不振」など、精神的なことが原因で体調を崩す人も多く出たことを覚えている。

 今では、「地震が来るぞ」という緊急地震速報が全国で始まっている。これは、地震の揺れが起きる前に来る「P波」(初期微動)を感知するもので、これは、震源地が遠ければ遠いほど到達するまでの時間が長い。「P波」が数秒、数十秒続き、それが止まった次の瞬間、「S波」(主要動)が到達する。

 そして、「S波」が到達した瞬間から「ガタ、ガタ、ガタ」という揺れが始まり、天井からぶら下がっている蛍光灯などが大きく揺れるのだ。

 その緊急地震速報なるもののおかげで、今でこそ、危機一髪で怪我(けが)を免れるケースも出てくるだろうが、普及しきれていない感がある。

 しかし、34年前、私はまだ緊急地震速報などというシステムがなかった15歳の時に、その「P波」を感じ取ることができた。

 それは、寝ている時だけに限られていた。当時、私は煎餅(せんべい)布団で寝ていたからかもしれないが、仰向(あおむ)けで寝ている時には分からなかった。横向きに寝ている時に限られた。誰しも横向きで寝れば耳が枕に密着する。そんな状態の時に、「P波」が来ると、私の耳には「ゴォー」という地鳴りのような不気味な音が聞こえたのだ。そして、後に、それが「P波」と言うものだということを知った。

 私は今回、この記事を書くにあたり、34年前に私が聞いたあの地鳴りが本当に「P波」だったのか、確認したくて市役所の防災課の職員に簡単な電話取材を試みた。

 すると、このような返事が返ってきた。

 「青柳さんが聞いたその地鳴りは、間違いなく『P波』です。私も、中越地震の時に現地に視察に行き、静かなところで耳を澄ましていたら地鳴りが聞こえ、次の瞬間『ドカン』と、余震が来ましたからね。これは、一般の方でも少し気をかけていれば感じることができるはずです」

 このように、「P波」というものは、静かなところで耳を済ましていなければ分からない。それに、いつ来るか分からない地震に毎日、そんなことばかりしていられない。しかし、大きな地震が来たあとだけでも、余震が来ることを想定して気にかけて見たらどうだろうか。

 地震には、「防災グッズの準備」と「心の準備」の両者を忘れないことが大切だと思う今日このごろです。

(記者:青柳 茂雄)

【関連記事】
青柳 茂雄さんの他の記事を読む
【関連キーワード】
地震
防災

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080627-00000004-omn-soci