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2008年06月27日(金) 12時41分

恋愛小説の世界最高峰、『源氏物語』を読むオーマイニュース

 今年は、『源氏物語』千年紀。年初から各地で関連行事が催され、オーマイニュースでも、すでにそれに関しての記事が数本アップされている。「横浜美術館」では8月から『源氏物語の1000年──あこがれの王朝ロマン』と題した特別展が行われる。この「千年紀」を機に、わが国有数の文化遺産である『源氏物語』の読者が少しでも増えれば喜ばしい。

 しかし、『源氏物語』は純然たる古文のテキスト。読むと言ってもそうたやすい営みではない。読解し、味わうためには、ある手続きが必要となる。だからと言って、何も原文で理解しなければならない、ということではない。外国文学を香り高い日本語訳で堪能するように、谷崎潤一郎や円地文子、近時では瀬戸内寂聴氏の名訳で、その世界に触れてゆけばよい。

 大和和紀の漫画『あさきゆめみし』でも構わない。とにかくまずはその魅力の一端を知り、しかるべき準備が整ったら、原文に挑めばいい。深い森や高い山には、なにがしかの事前準備をするなり、オリエンテーションを受けるなりする方が安全である。うっかりすると迷子になりかねない。遭難の危険さえなくはない。

 そんなことになってしまったら、せっかくの楽しみを実感できないままで終わってしまう。世界最高峰の恋愛小説を、誇るべき文化遺産として有しているのに、それと全く無縁でいるのはもったいない。

 『源氏物語』の、どんなところが世界に誇るべき恋愛小説であるのか。例えば季節柄、巻九「葵」の「車争い」あたり。

 光は、22歳。父・桐壺帝は譲位して、弘徽殿女御腹の兄が朱雀院となって即位し、藤壺腹の弟(実は光の子)が皇太子となっている。光は生まれてすぐ占い師の言葉を承(う)けての父帝の配慮により皇位継承権の序列外におかれ源氏姓が与えられ、ここでは近衛大将である。

 この場面、主役は、光の愛人である六条御息所。彼女はここまでのところで光の冷たい態度に思い悩んでいる。娘が斎宮となったのを潮に光への思いを断ち切り、伊勢へと下向する決心を固めたのだが、なお未練断ちがたく、葵祭の行列に加わる光の姿をひと目見て、それを最後の美しい思い出にしようと、姿をやつして出掛けてゆく。

 一方、光の正妻・葵の上は出産間近で、あまり具合は良くないのだが、都じゅうから人が集まる一大行事だというのに正妻がそこでの夫の晴れ姿を見ないのはよろしくないと周囲に強く勧められ、にぎやかな仕立てで人込みに牛車を出していた。この一行と、折悪(あ)しく六条御息所はかち合ってしまう。

 六条御息所は、姿をやつしてはいたもののすぐにそれと知れて、そうなると正妻の葵の上はもちろん従者たちにも光との関係はすでに周知のことだから、ただではすまされない。場所取りの小競り合いに深く情が絡んで、光君の世話になっているからっていい気になるな、と葵の上からここぞとばかりに嫉妬(しっと)をぶつけられることとなる。

 いたたまれず六条御息所はこの場を立ち去ろうとするのだが、あまりの混雑で、もはや身動きがとれない。ひどい屈辱感とやるせない思い。そんな気持ちを抱きながら立ち往生しているところで、いよいよ光君の行列。あでやかな風景を背景にした、苦しく切ない心情、『源氏物語』屈指の名場面である。

 もう別れなくてはと心を決めていながら、なお思い切ることができない。しかもその想(おも)いを引きずることで、惨めな局面へと追いやられるのに、それでも相手を憎めない。すでに相手の気持ちは冷め切って、そうと分かっていながらも、その姿をひと目見るだけで切なくもほんのわずかな喜びを感じてしまう、そんな悲しい愛のかたち。

 痛々しいまでの六条御息所の光への思いのなんと美しく不憫(ふびん)なことだろう。恋愛の典型的な心情の1つがここにある。

  ここに描かれる六条御息所の有り様は、ほとんどの読者にはついに無縁のことだろう。それでも同じ体験などなくとも(この後、彼女は物の怪(け)となって出産後の葵の上をとり殺してしまうのだから、あったら困る)、恋愛とはかくのごときものと知ることで、自分の日常に生起する事象を理解し、片づけていくなにがしかの知恵にはなっていく。『源氏物語』には、そうした生きていくうえでの支えとなる多くの思いい、抒情(じょじょう)の型が溢れている。

 「千年紀」という周年行事が、多くの人が世界に誇るべき文化遺産に触れるいい機会になれば、それだけで十分意味深いものとなるのである。

(記者:石川 雅之)

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