記事登録
2008年06月27日(金) 12時30分

天国を地獄に変えた「八つ当たり」オーマイニュース

 東京・秋葉原の歩行者天国での通り魔事件から半月以上たった。

 人は、自分が置かれた状況を、客観的に、相対化して認識し、自分の心理状態を冷静に分析できれば、抱え込んだ不満や苦悩の解決の糸口ぐらいは、見つけられるものである。

 その能力の個人差には、生まれながらの資質もあるが、育った環境によっても、大きな違いが出てくる。

 赤ん坊は、空腹、排泄(はいせつ)要求、甘え、呼びかけなどを、すべて「泣く」ことでしか表現できない。しかし「泣き方」にも微妙な違いがある。

 身近な生育者が、それを敏感に感知して、的確な「表現方法」を、時間をかけて教えていくのが一般的な育児である。機械的に「食事」を与え、「排泄」させるだけでは、“ニンゲン”にはならない。

 次第に「歩く」「話す」というように、子供は多くの「身体能力」を獲得するとともに、他者に対して、自分の欲求を上手に伝えて、それを効率よく実現する術を身につけていく。

 単純に言えば、「コミュニケーション」能力の発達ということである。

 社会の近代化、都市化、電子化などが、その能力の発達の機会を減らしていると、私は考えている。

 現代の子育てにおいては、そこを特に「意識的」に行う必要がある。社会が「電子化」する前に比べて、「他人と対話することが必要になる場面」は、明らかに減っているからだ。

 それは「わずらわしさ」の減少であり、「便利さ」の増大である。しかし、人間関係というものは、良きにつけ、悪しきにつけ「わずらわしい」ものである。

 社会というものは複雑で、自分の都合で簡単にON-OFFしたり、「リセット」できるものではないということを、理屈だけではなく「実体験」から学ばなければならない。

 「恋人」も「親友」も、自己表現と、他者への共感がなければ得られない。

 「愛」と「信頼」が、人間関係には不可欠なのだ。

 「自暴自棄」「八つ当たり」的な犯罪を、根絶することは不可能だが、少しでも「防止」するための方法を、社会のあり方と個人のあり方の両面から、考えてみたいと思う。

(記者:安住 るり)

【関連記事】
安住 るりさんの他の記事を読む
【関連キーワード】
秋葉原
防犯

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080627-00000000-omn-soci