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2008年06月25日(水) 16時45分

しずかな木曽路の宿場で出会ったのは……オーマイニュース

 6月21日、土曜日。雨の予報が出ているにもかかわらず、近所のグループに入れてもらって、中山(なかせん)道の奈良井宿まで日帰り旅行をした。馬籠・妻籠には多くの観光客が行くらしいが、そのずっと先の塩尻市内の奈良井は人出はまばら。おかげで木曽路の深い山の中をゆっくりと歩くことができた。

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 中央本線も恵那駅を過ぎるともう線路の両側に山が迫ってくる。左手には幅狭くなった木曽川が、白い石の川底を見せながら流れている。この流れで一番の見どころは「寝覚ノ床」で、ここは大きな四角い岩がいくつも積み重なって、まるで現代アートのような迫力のある造形美を見せている。

 木曽福島駅あたりから、ヒノキの大木が積み重ねてあるのが車内からでも見えるようになる。さすが木曽ヒノキの本場である。ヒノキは立っている姿も堂々としてうつくしいが、切られて皮をむかれて、まるはだかで横たわっている姿も痛々しいばかりにうつくしい。まだどのような形にも加工されていない生の大木は、これからどのような役割を与えられるか、息をひそめてしずかに待っているように見える。

 奈良井宿については、馬籠・妻籠よりひなびているにちがいないという程度の期待をもって訪れたのであったが、そのとおり観光客は少なく商店の数も少なく、期待はたがわず的中した。なによりよかったのは中山道の両側にある建物が、昔の宿場町そのままの雰囲気を残していることである。

 それぞれの家にはそこで暮らしている人がいて、みやげ物を売る店もあれば観光客のために食事や喫茶を提供する店もある。しかしそのどれもがいわゆる商売を前面に押し出さず、昔ながらの格子戸とひさしの奥でしずかに客をもてなしている。

 驚いたのは、ひさしと格子戸の古い構えの家の屋根に、「ヘアサロン」という小さな看板が遠慮がちにかかっていたことだ。よく見ると中に鏡やいすがあり、たしかに美容院である。が、外見はあくまで宿場町の一民家であった。

 ここには有名な社寺仏閣はない。しかし1つ記憶に残ったのはある寺の奥で見た「マリア地蔵」と呼ばれている幼児を抱いた石像である。小さなほこらに納められたこの像には首がない。説明によれば昭和初期この地で見つかった像だそうで、そのときすでに首は失われていたとか。幼児が持つ長い棒の先端が十字架の形をしていることから、この地に住んでいた隠れキリシタンのものではないかといわれている。

 おそらく江戸時代のキリシタン迫害の嵐は信者を殺害しただけでは飽き足らず、その信仰のシンボルであったマリア観音像の首を切り落として、残った胴体を土中深く埋めたのであろう。

 これを発見した、昭和期の奈良井の人たちはキリスト教徒ではなかったであろうが、昔の人の信仰心を尊び、首のないマリア像をきれいに洗い清め、安住の地としてのほこらを作って鎮座させたのであった。

 いまもこの1キロ足らずの宿場を歩くと、各家々の前にはやさしい野の花を生けた木おけが置いてあり、無言で家主の歓迎の意を伝えてくれる。格子戸も玄関もきれいにふき清められて、住む人のたたずまいが香ってくるようだ。奈良井にはまだ古きよき日本が残っている。

(記者:堀 素子)

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