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2008年06月23日(月) 15時36分

うつ病、そして決断した身内の一歩オーマイニュース

「旅に行かないか?」 うつの身内を誘ってみた の続き

 「心」のバランスが悪くなった6年前、私は「旅」に出た。

 「今のままでは何も変わらない……」

 自分でもどうしていいか分からない状態を見ているのは、自分自身も辛かった。同僚が言ってくれた「上の空」という言葉は、同僚だけが感じていたことではない。その頃、今思えばまわりが私に対し、どこか余所余所しくしている部分がたくさんあった。

 気を使ってくれる方もいれば、私を避けるような方もいた。私から醸し出される雰囲気が自然と、まわりの人を遠ざけていた。話ずらさもあったのだろうか、どんな声をかえていいのか分からないこともあったのだろうか。

 今思うと、私の当時の「心」の状態は、まわりの方に対しても良からぬ印象を与えてしまっていた。そして、私には何故かあの頃、まわりの人たちが、非常に遠くに見えていたのを覚えている。同じ職場での仕事であったにも関わらず、一人私は孤島に取り残されていたような錯覚も何度もあった。
あの頃の私は、今の身内を見ているような気分だった。

◆前向きの発言と返答に驚き

 「行くよ!!」

 うつを抱えている身内に私が言った、「旅に行かないか?」の投げかけからちょうど3日目だった。そして都内に訪れた際、身内自身の言葉で返答があった。

 「もうどうしていいか分からないから、この旅行くよ!」

 「今、最悪だ。どん底だ! 自分自身どうしていいか分からない。全てに対して億劫になっている。情けない。そしてまわりの人に対して申し訳ない」

 時折、感情をあらわにしながらも、話続けてくれた。

 「キッカケや、自分の状態、そして自分の今後が見えてくる気がする。誘ってくれたのにも意味があることだろう。日本を離れて見るのがいいかもしれない。一緒に行くよ!」

 正直、この返答には非常に驚いた。

 「こうなって欲しい!」という願望はあった。そしてこのために私は提案をした。だが、身内と接している中では、このような前向きな発言と返答は、難しいように感じていたのが本音である。提案をした後の身内の反応は、決して的を得たような感じではなかった。むしろ「迷惑」のような素振りであったことも事実である。

 「失敗したか……」

 提案をした後、何度も思ったことだった。

 だが、しかし——。

 私の想いが通じたのだろうか、私の真剣な言葉が通じたのだろうか、「行くよ!」という言葉は、私自身にはとても嬉しかった。余計なことが頭を駆け巡る中でのこの発言は、私の背中に圧し掛かっていたものを、軽くしてくれたような感じだった。

 また、心なしか、「行くよ!」と言った時の身内の表情が、一瞬輝いていたようにも見えた。一つ吹っ切れたものがあったのだろうか、久しく見なかった身内の表情は、私の背中を更に押してくれたような感じだった。

◆自分と対峙するには素直になること

 6年前、私の作った「旅」が、今また動きだそうとしている。

 「鬱」と分かってから1カ月前後。身内は、今少しずつ前進をしている。そして変化をしている。自分と対峙し、自分と正直に向き合っている。今まで出来なかったこと、今までしなかったことを今ひたすらにこなしている。

 時に情緒が乱れることもある。時に感情に身を任すこともある。だが、それらを全部受け入れながら、身内は今、完全に自分と対峙をしている。

 また、このような変化の兆しもあった。先日の一言である。

 「最近、“素直”になる自分っていうのに気づいたよ!」

 「対峙」に際し大事なことは、「素直」さがあるかどうかである。自分を俯瞰する時、この「素直」さが出るかどうかで、次の一手が決まってくると言ってもいい。自分と向き合う時、そこにはしがらみを外さなければならない。さらけ出し、全てを受け入れる必要がある。

 そこに、今まで感じなかったこと、見ていなかったこと、または知らなかった自分を見出すことが出来る。愚直なまでの素直さがあっていい。「素直」な心で向き合うことが、「鬱」の解決策の一手だと思っている。かつての私もそうだったから。

 身内は、今この「素直」でいることの大切さを自分自身で感じているはずである。そして……。

 私は身内の一言を皮切りに、更なる提案をした。

 「場所は“ここ”に行く!!」

(記者:花嶋 真次)

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