記事登録
2008年06月23日(月) 13時01分

支局長からの手紙:暴動’90 /奈良毎日新聞

 先日の大阪市西成区の暴動で、1990年10月のことを思い出した読者も多かったのではないでしょうか。
 18年前、29歳だった私は、大阪本社の社会部宿直グループの第1出動要員(要は一番下っ端)でした。当時の西成暴動が起きたきっかけは、西成署元巡査長の収賄疑惑発覚に対する抗議とされていますが、三日目を迎え騒ぎはいったん沈静化したかに見えました。
 「静かすぎて気味悪いなあ。お前ちょっとのぞいてこいや」
 宿直キャップの指示で、私はジャケットを脱ぎ、ポケットベルとカメラを置くと、ヘルメット、作業着姿で一人現場パトロールに出かけました。
 ところがタクシーで目標の西成警察署につく前に目に入ったのは、数え切れない群衆がコンビニを襲撃する風景でした。投石、そしてガラスをたたき割り、商品を奪う。止めてある車は横転させ火をつける……。
 「ここはほんまに日本か」
 とりあえず運転手に待ってもらい、公衆電話ボックスから様子を連絡し、応援取材を要請しました。程なく戻ったつもりが、タクシーも「やばい」と感じたのでしょう。駐車場所から消えていました。徒歩で阪堺電気軌道方向に向かうと南霞町駅舎に向け、多数の火炎瓶が投げられています。足元まで拳大の石が飛んできて、駅舎はやがて炎上しました。
 90年の暴動は6日間続き、この間取材中にカメラを奪われ殴られた同僚記者もいました。一連の騒動をまとめた三野雅弘記者(現学研・宇治支局長)の「記者の目」によれば、負傷者は警官を含め127人、逮捕者は少年13人を含む55人。労働者による暴動は昭和36(1961)年〜同48(73)年に計21度あったが、今回初めて暴走族風の若者や学生が交じっていた、とも記されています。
 今年の騒ぎでも、高校生風の若者たちが機動隊の盾の前で携帯電話のカメラを構えている様子を見ていて、こんな昔のことを思い出しました。18年もたっていうのもなんですが、あの時の「関協」タクシーの運転手さん、無事でしたか。運賃の支払いは、どうなったんでしょうね。【奈良支局長・井上朗】

6月23日朝刊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080623-00000147-mailo-l29